【企画展資料の紹介④】—『空襲救護』
2021年05月12日緊急事態宣言の発出に伴い、4月26日(月)より新型コロナウイルス感染防止に努めるため、資料室を臨時閉室しております。開催しておりました企画展「戦時下の理系女子学生」については、展示パネルの内容を以下のリンクからもご覧いただくことが可能です。

今日5月12日は、ナイチンゲールの誕生日にちなんで制定された「看護の日」です。今回は、戦時下にどのような看護教育が行われていたのかを垣間見ることができる資料を紹介します。
画像の資料は『空襲救護』という本で、包帯の巻き方や毒ガスの種類、傷病者の運搬方法などについて一般向けに解説しているものです。1943年に帝国女子医学薬学専門学校の教授らによって作成されたものでした。表紙のイラストを見ると、十字の旗がはためく建物の上空に戦闘機らしきものが飛んでいます。
本学における看護教育のはじまりは、1926年開設の帝国女子医学専門学校付属看護婦養成所までさかのぼることができます。その後、1942年に付属看護婦学校へと校名を改称しています。(1945年4月の空襲で施設を焼失し、その後しばらくは自然休廃止の状態となりました。)
『東邦大学看護教育のあゆみ 60周年記念誌』には、戦時下の看護婦養成所で学んでいた卒業生による回想記が掲載されており、1940年に入学したうちの一人は以下のように振り返っています。
「日に日に激しくなる戦時体制の中での教育でしたから、教科の中には担架教練とか手旗信号の訓練などもありました。白衣を着て担架をかついで本門寺まで行進することもあって、道行く人や近くの工場の工員さんたちが皆顔を出して見ながらひやかすので、とても恥ずかしかったことなどを想い出します。」(原文ママ)
画像にある資料『空襲救護』は一般向けの解説本ではありますが、看護婦学校でもこの本に書かれている内容に近いことが教えられていたのではないでしょうか。
投稿者:スタッフ
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