【企画展資料の紹介②】—校歌から消えた「自治の園」

現在、企画展「戦時下の理系女子学生」を開催しておりますが、新型コロナウイルスの感染状況を鑑みて、学内関係者のみを対象としております。ぜひ学外の方にもブログを通して展示中の資料をご覧いただければと思い、先週に引き続きこのブログで紹介していきます。
※展示内容についてはぜひ以下のリンクからご覧ください。

さて、今回は東邦大学の前身である帝国女子医学薬学専門学校の「校歌」をご紹介します。校歌を作詞したのは国文学を担当していた森本治吉、また作曲は軍艦行進曲や愛国行進曲で知られる瀬戸口藤吉によるものでした。

1925年の創立以来、学生による「自治」を大切にしてきた帝国女子医学薬学専門学校では、校歌の中にも「自治の園」という言葉が登場しました。この校歌は学生たちから親しまれていたようですが、戦時下にはこのフレーズが問題視され「学びの園」に変更されていた時期がありました。

この時の出来事について、『東邦大学50年史』の中で森本治吉が以下のように振り返っています。
「学校当局は少し自由すぎる、校歌として必ずしも良くないという批評が一部にあったらしく戦時中は「自治の園」という文句を削ったりしたが、敗戦後になって元に戻した、という話も聞いて笑ったことである。」
校歌ひとつをとっても、戦争の影響を見ることができます。

元の歌詞に戻されたのは終戦後のことかと思いますが、間もなくして新制大学昇格を機に男女共学となると、男性が歌うのは難しいという新たな問題が浮上し、1955年に新たな校歌(作詞作曲 堀内敬三)が作られました。こちらは現在まで歌い続けられています。

展示ケースでは、戦前の校歌の歌詞カードとともに、上記のエピソードをパネルにして紹介しています。
また、大学サイトの以下のページでは、戦前・戦後の2つの校歌を聴くことができます。

投稿者:スタッフ

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