【企画展資料の紹介①】-防空日誌
2021年04月15日現在、企画展「戦時下の理系女子学生」を開催しておりますが、新型コロナウイルスの感染状況を鑑みて、学内関係者のみを対象としております。ぜひ学外の方にもブログを通して展示中の資料をご覧いただければと思い、今回はその中から「防空日誌」についてご紹介します。
※展示内容についてはぜひ以下のリンクからご覧ください。

「防空日誌」は、1945年1月27日から3月21日までの期間に当時の本学の防空班によって作成されたもので、ラジオから得られた空襲警報などの情報を記録した資料です。いつ、どの方角から、どのくらいの戦闘機が襲来したかなどの情報が細かい字で記されています。ほとんどの日が一日あたり数行もしくは半ページ書かれているのですが、3月10日の東京大空襲の日は約4ページにわたって分刻みで記録が残されています。
このときは下町が甚大な被害を受けましたが、間もなく1945年4月15日には大森蒲田一帯も空襲の被害に遭いました。まさに76年前の今日の出来事です。
本学の前身である帝国女子医学薬学専門学校および帝国女子理学専門学校も、4月15日の空襲によって付属病院などを含む大部分の施設を焼失しています。現在資料室が置かれている医学部本館は、この時の空襲で焼失を免れた建物です。空襲当時、中に取り残された学生数人と教職員数人が懸命の消火活動を行ったという記録が残っています。
スタッフもこの「防空日誌」を手に取るたびに、この資料が今私たちの手元にあるのは本当に奇跡的なことだと、その重みを改めて感じています。次世代に受け継いでいかなければならない貴重な資料の一つです。
投稿者:スタッフ
カテゴリー:資料について

