K. K. Chen先生とカール・シュミット先生—額田晉、北京での出会い
2021年01月29日
2019年、額田医学生物学研究所から寄贈された資料のなかに、薬理学の大家たちの姿が写った上の写真がありました。中央でポケットに両手を入れているのが本学創立者のひとり額田晉です。そして、その右側にいる蝶ネクタイの人物が陳克恢(K. K. Chen)先生、一番左がカール・シュミット(Carl F. Schmidt)先生です。
K. K. Chen先生とシュミット先生の二人は、エフェドリンの効果について研究し、その後医薬として広く知られるようになるきっかけを作った人物です。その二人と額田晉との間にどのような関係があったのか……。じつは本学で薬理学講座の教授を務めていた伊藤隆太氏(1922~2007年)によって、著書『随筆集 シーボルトの香炉』(近代文藝社、1987年)の中に記録に残されていますので、以下にその背景をまとめてみました。
この写真が撮影された1923年当時、晉は順天堂研究所の所長を務めていましたが、9月の関東大震災によって被災した研究所が廃止されるという状況に置かれていました。この時、出身校である東大も多くの研究室を失っており、これに対してアメリカのロックフェラー財団から、同財団経営の北京協和医学校の研究室や器具材料、宿泊費一切の費用を提供するという申し出がありました。ここに晉が東大医学部講師としてよばれ、研究員8名の団長となり北京へ向かうこととなりました。
こうして北京の地で出会ったのがK. K. Chen先生とシュミット先生でした。当時K. K. Chen先生は大学院生になったばかりで、晉が実験などの手ほどきをしていたといいます。この時、長井長義が1885年に麻黄からエフェドリンを抽出した話や、さらに瞳孔散大や血圧上昇の作用があることを報告した三浦勤之助の実験などについて聞かせていたようです。(これについては、伊藤隆太氏が晉本人から直接聞いた話ということです。)また、シュミット先生もペンシルベニア大学病院から医学教育のため2年間招聘されていたとのことでした。
実際、1959年に椿山荘において日本医学総会が開催された折に、K. K. Chen先生とシュミット先生が来日しており、それぞれ晉と再会した時の写真などが資料室にも残っています。
この話にはまだ続きがあるのですが、少し長くなってしまいましたのでまた改めてブログを更新することにします。しばしお待ちください。
〈参考文献〉
伊藤隆太『随筆集 シーボルトの香炉』近代文藝社、1987年
齋藤繁「エフェドリンの歴史—歴史遺産と現代社会への影響—」『日本医史学雑誌』58巻3号、p.321–329、日本医史学会、2012年
投稿者:スタッフ
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