報国団の結成—戦時下の学園
2020年10月30日出張展示のポスターで使用している写真、ガスマスクをつけた学生や担架を持った学生が走っている様子を写したものですが、これは1940年代の救護訓練中に撮影されたものです。
1941年4月、本学では修練組織の強化を図るため、創立以来続いた自治組織「学生会」を「報国団」へ改称・再編します。学科ごとに「大隊」がつくられ、その下部組織として学年ごとに「分隊」が置かれるなど、軍隊に倣って編成が組まれていました。こうした組織は本学だけで生まれたものではなく、当時、全国の学校で同様に「報国団」や「報国隊」といった名称で学生たちが組織されていました。
戦時下、救護訓練や防火訓練などは「報国団」を中心として実施されていました。また、勤労動員の際には、学年ごとに動員先が決まっており、「帝国女子医学薬学専門学校報国団 第〇小隊」という名称で動員されていました。
さて、ここで報国団がどのような組織であったのか見てみましょう。上の画像は、1941年5月に発行された学内広報誌『高峯』に掲載されていた報国団の組織図です。組織のトップである団長は、当時の校長である額田晉が務めていました。組織図の下部真ん中あたりを見ると「競技班」、「水上班」、「陸上班」などがありますが、要するにこれらはクラブ活動のことです。名称が「学生会」から「報国団」に変わってから新たに付け加えられたのは、右下の「集団訓練班」にあたる部分でした。
「報国団」の結成は、当時の学生にとっては日常の一場面だったのかもしれません。しかし、1925年の創立以来「自治」の精神を育むことに重きを置いてきた本学にとって、ある一つの転換点となったことは自明です。
投稿者:スタッフ
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