ドイツ留学中の額田豊—手紙から読み取る人物像

本学の創立者のひとりである額田豊は、1906年7月に東京帝国大学医科大学を卒業すると、その翌年に当時医学の最先端の地であったドイツへ、私費で約2年間留学していました。

1907年3月に横浜港を出発した豊は、欧州航路を経て5月にドイツ・ベルリンに到着すると、まず弟の晉に宛てて手紙を出しました。資料室ではこの書簡を所蔵しています。少し長いので内容を簡単にまとめてみました。

【額田晉宛て 額田豊書簡(1907年5月5日)】
・5月2日にベルリンに到着した
・ブレスラウ大学(現ポーランド・ブロツワフ)のレーマン教授のもとで勉強をする予定
・(晉に対して)大学を出たらすぐにドイツへ来たらどうか
・母や弟妹たちをはげましてくれ
・ホームシックには願ってもなりそうもない
・坊主頭や洋服も通用する
・いつか晉もドイツに留学するときのために今から素養を身につけなさい
・ドイツで欲しいものがあれば教えてほしい、時計や本などは安い物だ

……と、まだヨーロッパの地を踏んでまだ間もないころの高揚感が伝わってきます。

この手紙に限らず、つねに豊は家族のことを気にかけていました。他の葉書には、晉に対して、いつか自分と同じようにドイツに留学できるようにするという内容が書かれています。実際、晉が留学をした際(第一次世界大戦の影響で留学先をアメリカに変更)、その費用を援助したのは兄の豊でした。また、他の弟や妹の進路などにも言及している手紙が多く見られます。父親の篤太が早くに亡くなったこともあり、長男の豊には一家を支える大黒柱としての自負があったことが伝わってきます。

こうした書簡を読むと、より額田兄弟の人物像に近づくことができます。資料室で所蔵している資料には、このような家族間でやり取りされた書簡が多く含まれています。また時間を見つけて皆さんにご紹介できればと思います。

※画像は書簡の最後の部分です。

投稿者:スタッフ

記事一覧に戻る

Top