「修学旅行」から「心身鍛錬旅行」へ

関東地方は先日梅雨入りしましたが、今週は晴れの日が多いみたいですね。
ちょうど昨年のこの時期のブログには、本館前のガクアジサイの写真を載せた覚えがあります。

さて、戦前の帝国女子医専・薬専時代、この時期は修学旅行のシーズンでした。それもなんとすべての学年が毎年修学旅行を行っていた記録が残っています。(これには驚きました、いいな!毎年ですよ、毎年!)

例えば1941年の行先を見てみますと・・・
医学科1年 箱根、2年 箱根、3年 箱根、4年 大島、5年 佐渡
薬学科1年 長瀞、2年 箱根、3年 箱根、4年 伊豆
これを見るかぎり、最終学年は少し遠い場所に行っていたようです。(ちなみに医学科は5年制、薬学科は4年制でした。)

この年、佐渡に行っていた医学科5年生の旅行記が学校の広報誌『高峯』に掲載されていましたのでご紹介します。

新潟港を「おけさ丸」という船で出発し、佐渡の両津港に到着した一行は、景勝地を観光バスで巡ったのち水産試験所を見学しました。また、島で最も大きい病院についても案内されたとのこと。ここはやはり、医学科の修学旅行らしい内容です。

ちなみに、本学で「修学旅行」という名称で実施されたのはこの1941年が最後で、翌年には「十国峠心身鍛錬旅行」へと変わり、軍国主義の色合いが強く反映されるようになりました。(結局、戦争の影響を受け、これを最後に実施されなくなります。)

「修学旅行」ひとつをとっても、時代の流れの中で担う役割が変化していく様を読み取ることができます。

投稿者:スタッフ

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