『高峯』と文学
2018年09月21日
すっかり空気が秋らしくなり、いろいろなことに集中できるようになりました。
「芸術の秋」とか「読書の秋」という言葉にも頷けます。
(食欲も存在感を増してきたのは気のせいでしょうか)
さて、今日は1925年から発行されていた
帝国女子医学薬学専門学校時代の広報誌『高峯』についてです。
その中でも1937年頃から本格的に設けられた文学コーナーに注目します。
『高峯』はこれまでブログで何度か取り上げてきた資料ですが、
実はこのコーナーについてはほとんど触れてきませんでした。
文学コーナーは「文苑」や「詩」、「短歌」など号によって様々で、
学生たちはこのコーナーにペンネームなどを使って
詩や短歌、俳句、また短編小説を投稿していました。
例えば「創作リレー」には
「科学と愛の合唱」、「文学少女」、「二ケ月」といったタイトルの創作が並びました。
タイトルはもちろん、文体にも人それぞれの個性が表れています。
(内容については割愛しますが、彼女たちが当時なにを考えて過ごしていたのか
創作の中身から少しだけ垣間見ることができます。)
しかし、1940年代に入ると文学コーナーは徐々に縮小していきます。
時期を追うごとに、『高峯』の内容も少しずつ戦争の色を帯び始めました。
1943年頃には、短歌が数首どうにか掲載される程度になってしまいます。
『高峯』の文学コーナーは、医学や薬学を学ぶ理系の学生たちが
勉学のかたわらで自ら筆をとって創作活動をしていたことが分かる
貴重な記録であり、また現代の視点から見れば
学生たちの自由度を表す「バロメーター」とも捉えることができます。
視点を変えれば様々なことが見えてきます。
調査あるのみ、ですね!
投稿者:スタッフ
カテゴリー:資料について

