2つめの学位

寒い日が毎日続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
本日もiPSの論文不正の新聞記事が報道されたりなど、研究を遂行することが使命である大学の片隅に居るものとしては本当に残念でなりません。
今回はこんな暗い状況から脱却できることを願った話題を取り上げさせていただきます。
今から90年以上前の同じ2月の出来事です。

92年前の大正15年(1926年)2月に創立者の一人である額田晉は理学博士の学位を正式に取得いたしました。(画像参照)
すでに取得していた医学博士の学位とあわせて2つ目の博士号取得となりました。
今ではダブルメジャーやダブルディグリー等の言葉もすっかり一般的になりましたが、90年以上も前に学位を2つ取得した晉の「先見性」と「あくなき向上心」はかなりのものといえるはずです。
理学博士の学位を受ける折に晉は大正15年3月発行の「学友会会報」(本学の前身である帝国女子医学専門学校の機関紙)で次のように述べています。

“今回理学博士の学位を受けました。これは学校長としては学位が二つ位あつた方が学校の将来の為によいと云う友人の切なる奨めに従ひまして、心臓に関する研究の一部を提出して其手続を踏んだ為めであります”
(旧字を新字に改めた以外は原文ママ)

個人的に一点気になるのは理学の学位を取得することを奨めた友人の存在です。
確たる証拠はありませんが、気になる人物が一人浮かびます。
森鷗外の長男で、晉と独協中学から同窓であった森於菟の存在です。
ご存知の通り森於菟は本学でも教鞭を執り、医学部長まで務めた人物で理学博士号を取得したわけではありませんが、森於菟も医学部だけでなく、同じ東京帝国大学の理学部も卒業しています。

予算の削減や有期雇用の増加など現在の科学界を取り巻く環境は他の産業と変わらず非常に厳しい状況ではありますが、晉と森於菟 、ないしは科学を志した先人たちすべての研究への情熱を、学生さんや研究者の皆様にはこれからもぜひ引き継いで欲しいものです。

投稿者:スタッフ

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