晉先生の日常

昭和18年に発行された高峯に、額田医学生物学研究所を訪ねた学生の記事が一問一答の形式で掲載されています。
晉はこの時、土曜日から月曜日の朝までは研究所で、火・木・土曜日は学校で、月・水・金曜日は晉が設立した額田内科病院で、勤務していたそうです。
晉にとって、土・日曜日は休日ではなく研究ができる日だったそうです。
研究所、学校、病院と、さまざまな場所で研究・教授・診察と、多忙な日々を送っていたようですが、健康にも気を配っていました。
天気が良い日には、研究所の近くにある海岸を1時間半ほど強歩していたそうです。

晉は、最後にこうコメントしています。
 折角自然から与えられたこの尊いからだなんだ。
 出来るだけ日常生活に注意して健康法をやってをるよ。
 摂生と、鍛練と、休養とね。
 ただ酷使するのは眼だけだ、そりゃ仕方がない。
 何しろこのからだは自分一人の身体じゃないからね。

晉は、昭和39年に亡くなるまで精力的に活動していました。
常日頃から健康に気をつけつつ、多くの活動に力を入れていたことがわかるエピソードです。

投稿者:スタッフ

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