森於菟先生

森於菟先生は、東京帝国大学医科大学を卒業し、帝国女子医学専門学校時代には、組織学・胎生学の教授として10年程、教鞭をとっていました。
その後、台北帝国大学を経て、戦後に本学に復帰され、専門学校長や大学医学部長を歴任、名誉教授となられました。

森於菟先生は、森鷗外の長男で、晉先生とは独逸学協会学校以来の同窓生でした。

医学科第2回生の思い出には、下記のように書かれています。
「森於菟先生の組織学は色鉛筆を用いての筆記で、先生は色チョークを巧みに駆使されて黒板に筋肉組織の絵図を画かれ、惜し気もなく講義の進むにつれてそれ等を消されるので勿体なくて仕方なかった。」

森於菟先生をはじめ、創立当初の教授陣は、豊先生と晉先生の知己をたどり、当時の医学界でも名だたる教授を集めました。
豊・晉先生の教育方針だけでなく、このような教授陣と勉学に励んだ学生たちがいたからこそ、第1回生が全員試験に合格し、文部省指定学校になれたのでしょう。

投稿者:スタッフ

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