家庭科学研究所

昭和8年に「帝国女子高等理学校」が開設され、同年末に改称されたのが「家庭科学研究所高等部」です。
本学の創立者である額田豊は、医学・薬学に続き、理学専門学校の設立も目指していました。
しかし、当時は理専の認可がなかなか下りなかったため、前段階として帝国女子高等理学校を開設しました。
昭和10年には、帝国女子高等学園と改称されましたが、翌年、第1回の卒業生を送り出すとともに閉校となってしまいました。

今回は、家庭科学研究所について、少しお話します。
前述の通り、昭和9年に開校されたこの学校は、日本女子大学校で心理学教授を務めていた高良とみを校長に迎えました。
高良とみは、「女学校卒業以上の婦人が、確固たる人生観や婦人観をもち、自分の生活目的を立派に確率できるように」、女子に必要な衣食住すべての生活科学が学べるようにプログラムを組み立てたそうです。

当時の高峯には、設立趣意として次のような記載があります。
 一、家庭生活を科学的に研究し、その目的、方法、組織に関しても生物学、心理学、社会学、
  経済学、宗教、芸術等の方面より、時代に適し、個々に即する標準を研究すること。
 二、科学的発明、発見、理論、学説、実験等を家庭に応用する方法を研究すること。
 三、家庭生活に関係ある歴史的、芸術的、科学的資料を蓄積し、研究に便宜を与えること。

また、研究所の特質として、
 一、家庭に関するあらゆる問題の研究機関として。
 二、婦人及子供に関する問題の研究及指導機関として。
 三、子女教育に関する問題の考究、調査、相談機関として。
 四、家庭婦人の一般的教育機関として。
 五、若き婦人の家庭教育の実習機関として。
 六、農村都市の家庭生活指導者養成機関として。
 七、有為高尚なる婦人職業の研究及養成機関として。
 八、婦人教育家(初等、中等、高等)の研究機関として。
 九、各種専門学校卒業者の一般研究機関として。
 十、女子医学、薬学、理科学専門研究者の実務研究機関として。

「花嫁学校」として、募集広告がだされたこの学校ですが、
上記のように、当時の一般的な「花嫁学校」とは違う内容だったようです。

専任の先生も多彩な顔ぶれでしたが、帝国女子医薬専からも細菌学や植物学の教授が教えに行ったりしていたそうです。
高度でしかも身に付く授業を行っていたようですが、学生数は少なかったので、少人数授業で楽しく学んでいたそうです。


とても興味深いこの学校ですが、数年で閉校となってしまったために、
まだまだ分からない部分がたくさんあります。
本学の歴史の一部を彩ったこの学校について、これからも調べつづけていきたいと思います。

投稿者:スタッフ

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