3月10日

大正14年3月10日は、本学の前身である「帝国女子医学専門学校」が設置認可を受けた日です。

「一、大正十四年三月十日専門学校令ニ依ル認可申請ノ件文部大臣ヨリ許可セラル」
(帝国女子医学専門学校「学友会会報」抜粋)

入学式は4月18日、授業開始は4月19日でした。

大正7年に公布された大学令により順々に、
官立・公立の医学専門学校はすべて医科大学に昇格し、
私立でも、2校が大学となり、医専は2校のみとなったそうです。

豊先生の自筆草稿「創立当時の思い出話」には、
「医師は大切な命をあずかるものだから、大学教育を受けたものでなければならないと云う
所謂医育統一論が大正の初めの頃から起って、それまであった官公立の医学専門学校は、
悉く単科大学に昇格された。しかし私は、医専は医専として独自の存立意義があると信じて
いたのであるが、一般の方針に逆行して私立の医専の創立を企てることは到底許可されな
いものと誰しも一笑に付していた」

そして大正12年に関東大震災を経験したことで、豊先生は医専の設立を決意しました。
「私は予てより教育と云う事に非常に興味を持って居りました。何時か適当な機会がありまし
たなら自分で一つ学校を建てて見たいと希望して居りましたが未だこれを実現するの時期を
得ませんでした。偶々一昨年大震災に際しまして私は幸い其損害の程度が比較的軽かった
ので私は全財産を失ったものと仮定してこれを投げ出したなら或は相当な学校が出来はしな
いかと考えまして堅く決心しました。それから直ちに此学校の創立に従事したのであります」
(額田豊「本校の創設につきて」『学友会会報』第1号、大正14年)

医育統一論が時代の風潮であった当時、医専設立は難しいことでしたが、
豊先生は、医師の偏在を解消するため・有事の際に銃後を守る女医の必要性などを説きました。

「帝国女子医学専門学校」設立後、3年の間には医専が6校開校するなど、
豊先生が突破口を開いたともいえるように、次々と認可されました。


昨年90周年を迎えることができた本学ですが、
創立者兄弟の想いが詰まってできた学校です。

設置認可を受けた3月10日に、
改めて本学や創立者に思いを馳せるのも良いですね。

額田豊「創立当時の思い出話」

投稿者:スタッフ

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