豊先生を偲んで

豊先生は、昭和47年7月29日に逝去されました。
逝去後、豊先生を偲ぶ声は多く聞かれたようです。

翌年の昭和48年7月28日には、
東京市ヶ谷の私学会館で、
額田豊先生を偲ぶ会が催されました。
倭文女夫人、ご令息の年先生等ご家族、
ゆかりの教職員が参列し、
思い出話を交わして、豊先生を偲びました。

                                 左から3人目(倭文女夫人)

また、卒業生鄭さん(14回生)も昭和48年の同窓会誌に思い出を寄せています。
豊先生との交流は、卒業後からだったそうですが、
台湾在住の卒業生たちの母校訪問から始まり、
来日する度に訪問していた豊先生との思い出が、とても大事に書かれています。

以前、豊先生の御令孫の方にお話を伺った際に、
豊先生が、自分が建てたものは「鉄筋コンクリートではなく借金コンクリート」と
よく笑って話していたと、おしゃっていましたが、鄭さんにも話していたそうです。
また、
 私が一度「先生学校を沢山建ててお金が儲かりますか」ときくと「儲かるもんですか。でもあなたのようね生徒が出てくるのでうれしい」とおしゃった。卒業生の訪問をとても喜ばれた。
との記載があり、豊先生の教育に対する情熱がうかがえます。

豊先生が、女性に対する科学教育のためにと創立した本学は今年90周年を迎えました。
女子医学専門学校かた共学大学へと、いろいろと変遷した本学も、
創立者である額田豊・晉先生の想いは、変わらずに抱き続けていきたいものです。

投稿者:スタッフ

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