晉先生
2014年09月30日昨日9月29日は、晉先生の命日です。
1964年、額田医学生物学研究所にて、
病のため77歳で逝去され、
10月5日に本学医学部本館講堂にて
大学葬が執り行われ、
本学教員、在学生、鶴風会員など千人余が参列しました。
日頃から晉先生は、
「自分が死んでも葬式などはして欲しくない」
と言っており、また独自の世界観と人生観を持っていたため、
お別れの式は既成宗教の形式によらず
全く独自の学校葬として執り行ったそうです。
教授と学生が語っている晉先生に関するエピソードを少し紹介します。
本学が開校した翌年の大正15年から教授として勤められた高木逸雄先生は、
「人生の意義は努力にあり」と唱えられておられた
学長の生涯は事実全く努力そのものでありました。
学問に、研究に、教育指導に、健康摂生に終始精進努力して来られました。
それによって、築き上げられた立派な人格、豊富な学識、多くの業績功績については
此処に集まっておる誰もが承知のことでありますか ら、今更私は申し述べることはありません。
卒業生の一人は、
額田先生は、私共が寮生の頃(昭和四年頃)から、
健康増進のため(学生との交流を図るお 気持ちもあったでしょうか)
「歩こう会」というのを作られ、日曜日には梅干とおかかのお握りを持って、
ご一緒に六郷や多摩川の堤を歩いたものです。
その折、当時では珍しいチョコレートやキャンディをお持ち下さいまして、
それが大変おいしく楽しみであったと記憶して居ります。
当時の東邦大学学生代表は、
先生は、或る時は教室に、或る時は校庭にいらっしゃって
私達と共にきさくにお話して下さいました。
特に講義中の教室にひょっこりいらっしゃって、
私達のまわりをにこにことおまわりなさっていらっしゃった時、
私達は先生の私達に対する限りなく広い暖かいお心を
見せていただいたように感じました。
このよ うに先生はいつも私達と共にお過し下さいました。
晉先生は、自身の研究に邁進することはもちろんですが、
いつも学生たちのすぐ傍にいたようなエピソードがたくさんあります。
帝国女子医学専門学校開校時から、校長として教授として、
学生と関わってきたからこそ、
学生たちに愛情を持って接していたことが伺われます。
以前、豊先生の命日の際にも紹介しましたが、
本学は来年90周年を迎えます。
創立者である豊先生・晉先生が本学に込めた想いを、
感じられる年になることを期待しています。
投稿者:スタッフ
カテゴリー:資料室近状