展示案内
常設展示(2010年6月9日~2017年10月2日まで)
創立者 額田豊・晉兄弟の軌跡
二人とも第一高等学校・東京帝国大学医科大学卒業した後、病院を開設しました。
そして、協力して帝国女子医学専門学校を創立します。
性格は似ていないと言われた兄弟ですが、
同じ医学の道に進み、手を携えて学校を運営しました。
そして、協力して帝国女子医学専門学校を創立します。
性格は似ていないと言われた兄弟ですが、
同じ医学の道に進み、手を携えて学校を運営しました。
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左:豊 右:晉
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晉が使用していた聴診器
学園の黎明-帝国女子医学薬学専門学校・理学専門学校
入学案内や学内広報誌等から、当時の入試内容や学校生活が分かります。
数少ない理系女子専門学校であったことや、積極的な学生募集活動により、
地方や国外からも多くの学生が集まりました。
数少ない理系女子専門学校であったことや、積極的な学生募集活動により、
地方や国外からも多くの学生が集まりました。
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創立当初の木造校舎
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「高峯」
学内広報誌
戦時体制下の学校
戦争の影響はもちろん学校にも及びます。
報国団の結成を初めとし、学生たちも疎開児童診療や学徒動員に参加しました。
報国団の結成を初めとし、学生たちも疎開児童診療や学徒動員に参加しました。
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『空襲救護』
帝国女子医専報国団著 -
「学校日誌」
当時の会議の記録
戦後、男女共学の東邦大学へ
戦後は、薬学科と理学専門学校の習志野への移転や、
大学への昇格等が行われました。
現在の東邦大学は、多くの困難を乗り越えて成り立っています。
大学への昇格等が行われました。
現在の東邦大学は、多くの困難を乗り越えて成り立っています。
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本館だけが焼け残った大森キャンパス
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創立当初からの公印