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東邦大学の系譜—習志野キャンパスのあゆみ

建ち並ぶ平屋建ての校舎(1955年)

【展示会場1】
場所:東邦大学習志野キャンパス 習志野メディアセンター3階
期間:2018年11月9日(金)~12月21日(金)

【展示会場2】
場所:東邦大学大森キャンパス 医学メディアセンター
期間:2019年1月7日(月)~1月31日(木)
 1945年4月、大森・蒲田一帯は空襲によって壊滅的な被害を受けました。その際、本学の校舎や病院など施設の大部分が焼失したため、授業を続けることは困難になりました。こうした背景から、戦後に千葉県の習志野に新たにキャンパスを設置することになります。
 本展示では、戦後の習志野キャンパスについて、移転から現在に至るまでの歴史を資料や写真を交えて振り返ります。

習志野への移転—戦後の東邦大学

 1945年4月の大森・蒲田一帯の空襲によって、校舎や病院の大部分を失った本学は、授業を再開するために新たな施設を探し始めます。終戦後まもなく、罹災した学校に旧軍用施設の貸付けが始まりました。その際、いくつかの候補地の中から本学は習志野の旧騎兵連隊跡を移転先として選びました。

 しかし、移転先となる一部施設の使用許可が他校にも二重で出されていたうえ、その施設ですでに授業が開始されていました。そのため本学は、病院を含んだ全学での移転が困難な状況に置かれます。最終的に帝国女子医学薬学専門学校の薬学科(現在の薬学部)と帝国女子理学専門学校(現在の理学部)の習志野移転が決定し、1946年9月に理学専門学校、続いて11月に薬学科が移転に応じました。

馬小屋・兵舎からの出発

 薬学科と理学専門学校が移転した当時、旧騎兵連隊の木造の馬小屋や兵舎は荒廃して残されたままの状態でした。終戦直後は物資が欠乏していたため、それらの建物を簡易的に改修して授業を再開しました。大森で焼け残った標本や実験用の器材、図書などは、教授と学生たちが習志野まで運搬しました。

 大学へ昇格した後もしばらく木造の校舎が利用され続けましたが、老朽化や火災の危険性が問題視され、1960年代から新校舎建設の動きが出始めました。ようやくこの時期に、習志野キャンパス内に体育館や新校舎、図書館などが建設され、修学環境が整備されることになります。

大学の拡大

 戦後の混乱する社会情勢を背景に、各地で学園紛争の時代を迎えます。本学においても1968年頃から、学内の改革を目的とした学生運動が活発化しました。また、この時期には高度経済成長期を迎え、全国で大学進学者数が増加します。本学でも各学科の定員増加を実施しました。

 近年では、創立90周年の記念事業として、スポーツアリーナや薬学部D館を建設し、さらに医学部・薬学部・理学部・看護学部に続いて本学で5番目の学部となる健康科学部を新設するなど、新たな歩みを続けています。

資料室だより ~活動ブログ~

2024年03月19日 更新

キャンパス今昔~寄宿舎暮らし

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