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人間 猿橋勝子の肖像

場 所 : 東邦大学習志野キャンパス 習志野メディアセンター3階
期 間 : 2017 年11 月11 日( 土) ~ 12 月26 日( 火)
展示協力 : 東京理科大学近代科学資料館
 2007 年、一人の科学者がその生涯を閉じました。本学理学部の前身にあたる帝国女子理学専門学校の第1回生、猿橋勝子です。本展示では、女性科学者の先駆けとして国際的に活躍し、また次世代の女性科学者の育成にも尽力した猿橋勝子のすがたをご紹介します。

帝国女子理学専門学校との出会い

 猿橋は本学理学部の前身である帝国女子理学専門学校(以下理専)の第1回生として1941年に入学しました。理専に入学する前、一度社会人となった猿橋は、医師になるという夢を諦めきれず他校の女子医専を受験していました。しかし、面接試験後に偶然理専のビラを受けとった時、もともと数学や物理が好きだったことを思いだし、直感的に理専の受験を決めたといいます。

 当時の理専は電気関係の設備が不十分な木造校舎であったため、学生たちは夏休みなどになると研究所や大学の研究室へ実習生として派遣されました。猿橋の実習先となった中央気象台で、地球化学の研究者である三宅泰雄と出会います。彼の研究者、そして教育者としての姿勢に感銘を受け、理専卒業後は中央気象台で働くことを選択しました。

「死の灰」の分析から世界へ

 地球化学の研究者として歩み始めた猿橋は、やがて「微量分析の達人」と呼ばれる存在に成長しました。1954年、ビキニ環礁での水爆実験の際に日本の漁船「第五福竜丸」が浴びた灰の分析を担います。当時、微量分析のための特殊機器開発に成功していた猿橋は、これを用いて海中のサンゴの粉末であることを突き止めました。

 「死の灰」を分析した後、猿橋は水中における炭酸物質の動きに関する研究が認められ、東京大学から理学博士号を授与しました。この一連の研究から作成された「サルハシの表」と呼ばれる水の条件と炭酸物質量の対照表は、コンピュータが普及するまでの間、世界中の研究者から重宝されました。

女性科学者の先駆として

 研究者としての道を着実に歩んでいた猿橋は、女性運動家の平塚らいてうからの依頼によって、被爆国の女性科学者として1958年にウィーンで開催された国際会議(世界婦人集会)に参加しました。以後、国際的な場で核廃絶と国際平和を呼びかけるなど、活動の幅を広げていきました。

 また、次世代の女性科学者を支援するため、1980年に「女性科学者に明るい未来をの会」を創立し、その翌年には50歳未満の優れた女性科学者を表彰する「猿橋賞」を設立しました。この賞は猿橋本人が亡くなった現在も贈呈されています。

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2024年03月19日 更新

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