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看護教育90年のあゆみ

【展示会場1】
場所:額田記念東邦大学資料室(医学部本館1階)
会期:2016年8月23日(火)~10月20日(木)

【展示会場2】
場所:習志野メディアセンター
会期:2016年11月1日(火)~12月7日(水)
 東邦大学の看護教育は、本年90周年を迎えました。大正15年に開設された帝国女子医学専門学校付属看護婦養成所から始まった本学の看護教育は、第二次世界大戦により中断された時期もありましたが、様々な変遷を経て現在の東邦大学看護学部へと受け継がれてきました。90周年という節目を機に、看護教育のあゆみを振り返ります。

帝国女子医学専門学校付属看護婦養成所

大正14(1925)年、東京府荏原郡大森町に帝国女子医学専門学校が開校しました。
岡山県で曽祖父の代から続く医家に生まれた額田豊・晉兄弟が私財を投じて創立した学校です。同年末には付属病院が開院し、翌年の大正15年、同院勤務の看護婦を養成することを目的として『帝国女子医学専門学校付属看護婦養成所』が設立されました。設立当時の学則は、入学定員15名で修業年限2年、全寮制、食費・手当金の支給、制服の貸与などが定められていました。

養成所は、看護婦規則(大正4年)に伴う「私立看護婦学校看護婦講習所指定標準ノ件」に基づいて運営されました。“主要なる科目は医師が担当すること”と定められてあることから、授業では帝国女子医専の教授が教鞭をとりました。
また、地方長官の指定を受けた養成所であったため、卒業生には無試験で看護婦免状が交付されました。ただし卒業証書は、付属病院での2年間の勤務後に与えられました。

昭和17(1942)年には、名実ともに一層学校たる本質に徹し学力教養の向上を図ることを目的に『帝国女子医専付属看護婦学校』へと校名を変更、さらに昭和19年には『帝国女子医専病院付属看護婦学校』へと変更しました。

昭和20年、第二次世界大戦中に大森・蒲田地区の空襲により、本学は本館以外の建物が罹災しました。教育施設の焼失と戦後の混乱とによって、看護婦学校は自然休廃止となりました。
約20年続いた本学初期の看護教育は、全18回、約270名の卒業を送り出しました。
寄宿舎前での集合写真 第1回生から第13回生まで(昭和14年)

東邦大学医学部付属准看護学校

准看護婦として必要な教育を授け、併せて公共の福祉に貢献する人材を育成することを目的として、『東邦大学医学部付属准看護学校』が昭和32(1957)年、開校しました。昭和20年に帝国女子医専付属看護婦学校が廃止されて以来、12年を経ての看護教育再開でした。入学定員15名で修業年限2年、寮費が無料の全寮制でした。

戦後、病院の再開や大学昇格、付属中・高等学校の設置など、徐々に再建をしていく中で、ようやく再開した看護教育ですが、苦難に直面する時期もありました。昭和35年、大幅な賃上げや労働条件の改善などを目的として「病院ストライキ」は日本中に広がり、本学でも同年7月に東邦大学労働組合が結成され、看護婦たちがストライキを行いました。ストライキの日は臨床実習が教室授業に変更されるなど、約1年続いた病院ストライキは学生生活にも影響を及ぼしました。

昭和40年度入学の第9回生からは、高等学校への夜間通学が開始されました。専門科目に偏重した准看護教育や狭い人間関係に終始する全寮生活から、より幅広い基礎教育・生活環境に配慮することで、社会人・看護人として成長するために始められましたが、学生達にとって両立することは、楽しい反面、相当厳しい試練だったそうです。

全国的に高校進学率の上昇に伴い、志願者数が減ったことで、学校継続は看護の質的低下につながるなどの理由により、昭和44年に閉校しました。12年間続いた准看護学校は、全11回、約130名の卒業生を送り出しました。

東邦大学医学部付属高等看護学校

看護教育改善の時勢の中、昭和40(1965)年『東邦大学医学部付属高等看護学校』が、入学定員20名で修業年限3年、原則全寮制で設立されました。開校当時、全国へと拡大し始めていた学生運動は、高等看護学校にも波及し、昭和42年から約2年間、団交などが行われました。授業料の値上げ反対、教育の充実とくに臨床実習指導の充実、自治会・自治寮の承認などが要求として掲げられた結果、自治会・自治寮が認められ、全寮制が廃止されました。学生運動によって混乱した時期もありましたが、学生との話し合いを通じてよりよい教育を考える契機にもなりました。

昭和45年には、学校運営。教職員組織を医学部・病院から独立させて看護教育の主体性を求め『東邦大学高等看護学校』へ校名変更しました。入学定員は30名から1年後には60名、さらに3年後には100名へと増員し、また同年には第二部(定時制)を併設しました。修業年限は第一部3年、第二部3年でした。学校組織づくりに着手し、専任教員会・評議会・講師会からなる教員会規約が施行されました。

昭和52年には、各種学校から専修学校へ昇格し『東邦大学看護専門学校』へ校名変更しました。第一部を第一看護学科、第二部を第二看護学科へと受け継ぎましたが、第二看護学科は、第一看護学科の教育内容の充実を図るなどの理由により、昭和56年に閉科しました。
18年続いた高等看護学校・看護専門学校は、定時制を含めて全23回、約1,300名の卒業生を送り出しました。
看護同窓会発足(昭和48年)
それぞれ活動していた看護婦養成所・准看・高看卒業生の同窓会が、合同で活動することになりました

東邦大学医療短期大学看護学科

昭和60(1985)年、社会の要請に応え得る有能な医療関係の専門技術者を育成することを目的として『東邦大学医療短期大学看護学科』が設立されました。入学定員100名で修業年限は3年でした。昭和63年には地域看護学専攻・母子看護学専攻が開設しました。専攻科目だけでなく、豊かな人間性を養い、幅広い社会の要望に応えられる視野の広い人材の育成を目指しました。平成4年、学位授与機構に認定されたことで、この2専攻科生は学士取得が可能になりました。

平成元年に新校舎が竣工するとナイチンゲール像は校内に移転されました。設立されてから2年後に計画された新校舎建設は、講義や実習のためだけでなく建物自体を教育として考えたことから、ナイチンゲール像を設置した吹き抜けとなっているナイチンゲールホールをはじめとし、豊かな情操を養う教育環境を目指して設計されました。

平成14年、医学部看護学科開設に伴い学生募集を停止し、平成17年に閉校しました。18年続いた医療短大は、看護学科が全17回で約1,700名、専攻科(地域看護学・母子看護学)が全17回で約600名の卒業生を送り出しました。
ナイチンゲール像
昭和59年、看護専門学校20周年を記念して設置されました。看護教育へと寄せられた寄付を基金として作成されたこの像は、ナイチンゲールの看護の理念が本学の看護教育の支柱であり、その継承の証として計画されました

東邦大学佐倉看護専門学校

平成3(1991)年『東邦大学佐倉看護専門学校』は、佐倉病院の看護職充実と地域の医療への貢献のため、看護の専門職業人として必要な知識、技術、態度を教授し、社会に貢献し得る有能な人材を育成することを目的として開校しました。入学定員40名で修業年限は3年、女子学生対象の寮も整備されています。同年9月には佐倉病院が開院し、平成5年より同院での実習がはじまりました。

学生同士の親睦を図り、学生生活に速やかに適応できるようにと、2回生からは入学式直後に教育キャンプが行われるようになりました。グループワークやオリエンテーリングを通して責任感や自主性を養う機会としています。
その他にも、特徴的な授業として文化講座や日本文化があり、学生生活の支援としてバスツアーやバーベキュー大会などが行われています。
また、平成5年には学生自治会が発足し、マグノリア祭たクリスマスのキャンドルサービスなどのイベントを企画運営しています。

本年、開校25年目を迎えた佐倉看護専門学校は、23回、約860名の卒業生を送り出しています。

東邦大学医学部看護学科

演習風景(平成24年 看護学部看護学科)
平成14(2002)年、医学部に『東邦大学医学部看護学科』が開設されました。医療短期大学からの改組であり、教育において重視されていた医療人として必要な人間性の陶冶が、看護学科へと継承されました。入学定員100名で修業年限4年の四年制看護教育が始まりました。
平成18年には、薬学・理学の各研究科とも連携し、総合的な医療・保健を支える人材の育成を図るために、大学院医学研究科に『東邦大学大学院医学研究科看護学専攻修士課程』を開設、さらに平成22年にはより高度な研究結果を志向する社会の要求とそれに応える大学の責務のため、同研究科に『東邦大学大学院医学研究科看護学専攻博士課程』を開設しました。

平成23年には、よりよい教育体制を確立するために、医学部看護学科を『東邦大学看護学部看護学科』へ、平成25年には大学院医学研究科看護学専攻を『東邦大学大学院看護学研究科看護学専攻』へ改組しました。
現在、看護学部は看護学を通じて保健・医療・福祉に貢献するため、深い知識と優れた技能および高い倫理観に基づいた、豊かな人間性をそなえた良き医療人を育成することを教育理念に掲げています。文化講座・自然体験学習・日本文化研修などを通した人間性の形成、英語・第二外国語・カナダでの夏期英語集中講座などを通した国際感覚の育成など、特色を持った学部となっています。
医学部看護学科から現在の看護学部までの14年間で、看護学科が11回で約1,200名、看護学専攻が10回で約120名の卒業生を送り出しています。
1年生が、ろうそくの灯を片手にクリスマスソングを歌いながら、大森病院の病棟を訪問する行事です。
学生自治会が始めたこの行事は、昭和49年頃には始まっており、患者さんとのふれあいだけでなく、医療人として病室を訪問するための儀礼と心構えを学ぶ機会としても、大切な行事として受け継がれています。

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2024年03月19日 更新

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