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新規所蔵資料展2013

日時:2013年6月12日(水)~7月10日(水)
場所:医学部本館1階 額田記念東邦大学資料室

「東邦女子」の時代

 第二次世界大戦の砲火が止んだ昭和20年8月15日、薬学部の前身である帝国女子医学薬学専門学校薬学科では、新入生120名の入学式が行われました。敗戦によって世の中の状況が大きく移り変わっていく中、教育と研究の歩みを絶えさせないための努力が様々な場所で払われました。
 この資料室のある医学部本館を除いて焼け野原となった東邦大学は千葉県習志野に新天地を求め、関係官庁との度重なる交渉を経て、修学のための土地を確保しました。「東邦女子」は、そうした歴史の激動の中で生まれ、僅か5年ほどの間だけ使われた校名です。
 昭和22年、本学では校名変更に関する会議が開かれます。アメリカが占領統治するなかにあって「帝国」の名に抵抗が覚えたことによるのではないかとも言われています。会議では「額田」「武蔵」「関東」「宇宙」など様々な案が出されたそうですが、最終的に額田晉校長の考案した「東邦」に決定されました。同年11月には名称変更の認可が下り、東邦女子医学薬学専門学校、東邦女子理学専門学校が誕生します。
 しかし、専門学校から大学に昇格し、また男女共学に踏み切ったことにより、昭和26年3月に最後の卒業生を送り出して「東邦女子」は幕を下ろします。大正14年の開校から続く「専門学校」時代が終わり、「東邦大学」の時代が始まりました。
「東邦女子」時代の年度別卒業生数一覧表
卒業年月 医学薬学専門学校 理学専門学校 合計人数
医学科 薬学科
回次 人数 回次 人数 回次 人数
昭和23年3月 19 148 19 97 6 133 378
昭和24年3月 20 143 20 129 7 104 376
昭和25年3月 21 136 21 129 8 37 302
昭和26年3月 22 163 22 133 9 36 332

高峯

 戦前から戦後にかけて、校友会および鶴風会(同窓会)によって発行されていた雑誌。当初雑誌名は『校報』でしたが、昭和10年2月号より『高峯』と改められました。
 学術論文や文芸創作、卒業生の消息や同窓会の報告など、内容は多岐にわたります。
 戦後、復刊として数冊を発行し、新たな『東邦通信』に引き継がれました。

山下泰朗 教授

 薬学科 有機薬品製造学・有機化学・ドイツ語教授。
 昭和17年から東邦女子医学薬学専門学校が廃止されるまで、薬学科長を務めました。
 大森キャンパスは、本館以外の校舎を焼失してしまったため、昭和21年理学専門学校につづき薬学科は新たに取得した習志野の旧陸軍騎兵隊跡地に移転しました。
 山下教授を委員長として、田中健二郎教授、滝川泱男教授、幾瀬マサ助教授、渡辺一江助教授ほか助手数名、学生と共に焼失をまぬがれた機器・図書・標本をトラックへ積みこみ、搬送から荷おろしまで真っ黒になりながら自分たちの力ですべてを行いました。
 そして同年11月に一部改良した馬小屋の様相が色濃く残る平屋の教室で授業が開始されました。都心から遠いことに加え、生い茂る雑草に囲まれガラスが割れた校舎であったため、多くの教職員が退職していきましたが、山下教授をはじめとする責任ある諸先生方を中心に運営されていました。
 このような環境にも関わらず、学生に対しては熱意を持って接していたという証として、紙不足により教科書が用意できなかった戦後に、手作りのガリ版刷り教科書で授業を行っていた、というエピソードも残っています。
  『有機化学講義要項』

額田 豊

 本学の創立者の一人である額田豊は、医師にして経済面にも優れた才能を発揮した人物でした。14歳で父を亡くした豊が実家の田畑を整理して私費でのドイツ留学を果たしたことや、若くして一家を支え、弟晉を大学まで進ませたことなどはそのよい例といえるでしょう。
 帝国女子医学専門学校のほか、麻布と鎌倉で病院を運営し、さらには日本大学医学部(当時は専門部医学科)や北鎌倉女子学園の創設に関わるなど、教育・医療実業家としての活動を積極的に行っています。
 雑誌『医界思潮』(昭和7年9月)の特集「医業経営の更生策」では、「時代を洞察せよ」という文章を寄せて特集の劈頭を飾り、医家のとるべき道を説いています。
 このように経済通と目されるに至る豊は、学校・病院を経営する傍らドイツでの研究を生かして多くの著作を行ないます。専門である糖尿病や腎臓に関するものが中心ですが、とりわけ医学に経済的視点を取り込んだものが目立つのは特徴的です。
 そのなかでも大正4年に出された『安価生活法』は特に好評で重版を繰り返しました。

額田豊著『安価生活法』

労働者と非労働者の所用食料比較図

 『安価生活法』は、いかにお金をかけずに必要な栄養を摂取するかを説いた本です。『安価生活法』が発表された大正4年は、前年に勃発した第一次世界大戦の特需によって工場労働者が激増した年でした。しかし一方では低賃金化が進み、労働者の生活は苦しくなっていきました。
 こうした流れは、これまで比較的安定しているとされてきた中流階級にまで影響を及ぼします。体面もあって、家賃や交際費など生活水準自体を容易に下げることのできない彼らは、中流であるからこそ苦悩しました。様々な食品とそのカロリー、栄養分を紹介し、より安価で手に入る代わりの食材を紹介する『安価生活法』は、そんな時代の要請に十分に応えるものでした。
 ベストセラーとなった『安価生活法』は、その後、続編や新版が次々と刊行されました。「時代を洞察」する豊の鋭いまなざしを見ることができます。


参考『近代生活風俗誌集』
(平成22年クレス出版)

額田豊『腎臓炎と其養生法』大正8年 4版                       額田豊『糖尿病と其養生法』大正9年 増訂4版

 医学と経済を時代に応じて組み合わせる『安価生活法』の手法は、別の形でも社会に還元されています。食事を中心に生活の環境を整えることで、病気を予防・療養する試みです。
 豊は糖尿や腎臓などの医学知識や経済、学校・病院経営といったような自身の得意分野を時代にうまく調和させることで成果を上げていきました。
 『腎臓炎と其養生法』                『糖尿病と其養生法』

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2023年01月26日 更新

1946年1月、本館の寒さ

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