理事長からのメッセージ(3)
会 期:2012年3月5日(月)~3月30日(金)
場 所:額田記念東邦大学資料室(医学部本館1階)
場 所:額田記念東邦大学資料室(医学部本館1階)
第6代理事長
柴田 洋子(1991年9月1日~1997年8月31日) |
1925(大正14)年東京都生まれ。
東邦大学の前身である帝国女子医学薬学専門学校に入学。卒業後、内科に所属したのち精神神経科学教室の新設に伴い同講座の助手となる。社団法人鶴風会(同窓会)理事長、看護高等専門学校長、医学部長などを経て、卒業生として初の東邦大学理事長に就任した。
就任前から、学内に限らず医学系の新聞・雑誌に多くエッセイを執筆し、医学的な内容から日々の生活、研修医時代の思い出などを記している。
これらのエッセイは、理事長退任後の2002年に随筆集『雑草と風』(NOVA出版)として纏められた。
東邦大学の前身である帝国女子医学薬学専門学校に入学。卒業後、内科に所属したのち精神神経科学教室の新設に伴い同講座の助手となる。社団法人鶴風会(同窓会)理事長、看護高等専門学校長、医学部長などを経て、卒業生として初の東邦大学理事長に就任した。
就任前から、学内に限らず医学系の新聞・雑誌に多くエッセイを執筆し、医学的な内容から日々の生活、研修医時代の思い出などを記している。
これらのエッセイは、理事長退任後の2002年に随筆集『雑草と風』(NOVA出版)として纏められた。

message |
日本で男女雇用機会の均等が進む中、職場での女性の立場や働き方について新たな問題が生まれていた。柴田先生は精神科医として、また理事長という女性リーダーとして、他の女性の社会進出にエールを送っている。 |
今や時代はとどまることなく流れてゆくので、社会のあり方、家のあり方もまだまだ変わってゆくことが予想される。変化は向上でなければならない。それには女性自身が働いてゆく中でよい適応能力を養ってゆくことを心がけるとともに、企業側はそれを認めて理解のある、差別のない評価をもつような相互努力が実っていく未来を期待したい。国の行政にもそれに沿って改められるものと信じている。 (「公衆衛生」1996年11月号)
|
第7代理事長
野口 鉄也(1997年9月1日~2006年8月31日) |
1935(昭和10)年東京都生まれ。
東邦大学医学部を卒業後、東京都交通局病院や東邦大学の医学研究研究科を経て慶応義塾大学医学部の生理学教室助手となる。1982年、東邦大学医学部教授に着任したのち学生部長・学部長などを歴任し、1997年に理事長に就任する。
就任と同時に、大学の学生・保護者向け広報誌「学園だより」において連載「下学上達」をスタートした。毎年の「年頭所感」掲載に加え、このエッセイでは医療・教育・時事から音楽・美術などの教養まで多岐に渡る話題を取り上げ、退任までに80回を超える長期連載となった。
東邦大学医学部を卒業後、東京都交通局病院や東邦大学の医学研究研究科を経て慶応義塾大学医学部の生理学教室助手となる。1982年、東邦大学医学部教授に着任したのち学生部長・学部長などを歴任し、1997年に理事長に就任する。
就任と同時に、大学の学生・保護者向け広報誌「学園だより」において連載「下学上達」をスタートした。毎年の「年頭所感」掲載に加え、このエッセイでは医療・教育・時事から音楽・美術などの教養まで多岐に渡る話題を取り上げ、退任までに80回を超える長期連載となった。

message |
「下学上達」では、毎回身近な話題の中から様々な角度で読者に問題提起を行っていた。1998年9月号では、医療機関から患者へのカルテ開示法制化に対し、医師自身の自発的な「説明」の必要性を説いている。 |
開示請求権の法制化は日常診療で医療関係者と患者との間の権利義務関係を強く意識させる危険はありますが、運用面でこうした現実を回避せざるを得ません。診療記録をそのまま開示することはかえって患者に客観的な診療情報が伝わらないおそれもあります。咀嚼、消化、吸収、代謝して、栄養となるようにしなければなりません。すなわち「教育」です。 知・情・意を持つのが人間です。十分に知を受け、説明され、合意しても、最後の情がなかなか言うことを聞きません。これが本音でしょう。相互の信頼しか残りません。 (「学園だより」1998年9月号)
|