理学部生物学科

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生物学科の歴史

1960年代の生物学科の校舎
(1960年代の生物学科の校舎 撮影 青山莞爾)

生物学科の歴史

生物学科は1950年(昭和25年)に創設され、第1回卒業生8名を世に送り出しました。爾来、教員と学生は年々増えて2009年度(57回生)は105名が卒業しました(9月卒業も含む)。生物学科の約3,700名の卒業生は、中学高校をはじめ大学の教育界、一般企業や医療関係など社会のさまざまな分野で活躍しています。

生物学科のおもいで

青山莞爾 本学名誉教授 (1958-1999在職)

青山莞爾 本学名誉教授

生物学科の前身は帝国女子理学専門学校(1941年設立)です。ここから女性科学者を顕彰する「猿橋賞」で知られている猿橋勝子先生など著名な女性科学者を輩出しています。現在の生物学科は1950年に創立されました。大森の理専校舎が第二次大戦で焼失したので、戦後習志野へ移転して旧陸軍の建物を校舎として東邦大学理学部が誕生しました。生物学科の校舎(写真上)には研究室、実験室、講義室がありました。当時の習志野は大学を一歩出れば田畑や雑木林で、生物実習の材料には事欠くことはありませんでした。自然の中の生物を観たり、触ったり、時には噛んでみて、毒がないことを確かめたりしていました。これ以来、生物を学名で知る以前に、生物を五感で感じた素顔が浮かんでくるようになったわけです。目から鱗が落ちる発見、よろこび、気がつけばとても生物が好きになっていました。草木に取り囲まれた簡素な校舎で、新しい発見を生むには生物に対する洞察力を養うことが大切であることを学びました。

 私が在籍した1953年当時の生物学科には植物学教室と動物学教室があり、多彩な専門科目と教授陣がいました。植物地理・生態学(中野治房)、微生物化学(薬師寺英次郎)、植物分類学(久内清孝)、植物形態学(亘理俊次・山内文)、植物生理・生態学(田崎忠良)、植物生理・生化学(下郡山正己)、細胞遺伝学(佐藤重平)、動物分類学(福井玉夫)、動物形態学(濱崎幹)、動物生理・生化学(井坂三郎)、動物生態学(倉澤秀夫)などがありました。この基礎生物学を網羅する体系的な教育体制は、学科の教育理念として現在まで受け継がれています。

 卒業研究は倉澤先生(動物生態学)のご指導を仰ぎ、学内の池の生態学的な調査を行いました。倉澤先生は諏訪湖の調査に専念され、私がその後を継ぐことになりました。この諏訪湖の研究は、日本の湖沼やダム湖、そして河川から干潟の保護研究に進み、私が環境評価に携わる基礎となってものです。私と同期の杉村康知君(元理学部長)は、ウシ心筋からチトクロームC1を発見した薬師寺先生の下で卒論を完成して、後に先生の研究室を継ぎました。濱崎先生(動物形態学)はサンショウウオの飼育を行っていたので、私も春先の奥日光で行うサンショウウオの卵採集を手伝いました。この研究室はその後、南極海のプランクトンの研究を手がけ、後に干潟の調査から海洋生物を始めた秋山章男氏(元教授)によって受け継がれました。半世紀にわたって基礎生物学の教育と研究の中心として活躍してきた生物学科が、新進気鋭の若い研究者に受け継がれていることは、とてもうれしいことです。今後の更なる発展を期待しています。

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