理学部生物学科

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伊豆諸島におけるイタチ導入:歴史と事実と教訓

イタチの碑

 伊豆諸島の北から2番目に利島という島がある。東西2.2km、南北2.3km、標高508mの宮塚山を山頂とする円錐形の小さな火山島である。ただし、この島には有史以来噴火の記録がない。
 島唯一の港、利島港から急坂をのぼると、集落のほぼ真ん中に長久寺という名の日蓮宗の寺がある。高いクロマツの木々に囲まれた境内に高さ2mほどの石碑があり、島の人々はこれをイタチの碑とよんでいる。現在は、公民館の玄関前に移されているが、正式には梅田一郎彰徳碑というこの石碑が、こう呼ばれるのにはそれなりの理由がある。裏にまわり込んでみると、碑文にはこう書かれている。

『年毎に鼠の被害を享け生産の減収するにこまった
是を駆逐する方法を考えて呉れるなら
大きな思はざる収穫があると思った
隅々昭和9年君が青年団長となって是を退治するには
イタチを放すことが最も適当の策であることを唱え
其の結果遂に著しい業績を残した
現に村民が農業を営む上に最大の利益を与えた
之の偉大な働きは吾大の永久に忘れることの出来ぬ
彰徳に応え之に十五周年を迎え基を建立し記念とする』
    昭和二十五年六月
    建立者 村民一同

 すなわち、この碑は梅田一郎氏の発案により「ネズミによる農作物の被害を食い止めるため、イタチを放し、多大な成果をおさめたこと」を記念して建てられたものなのだ。放獣の時期は、昭和9年か10年と読み取れる。
 それから、約50年後。同じ伊豆諸島の三宅島にもネズミ駆除を目的としたイタチの放獣が実施された。天敵を利用した生物防除の先駆的業績として、碑文にまで書き残されたイタチ放獣ではあるが、放獣後数年にして、急激に変化しつつある三宅島の生物的自然は、鼠駆除の対策としてそれが本当に適切な方法であったのかどうか、われわれにその見直しをせまっている。失われつつある自然を取り戻すためには、外来動物であるイタチの駆除を真剣に検討しなければならないときが、遠からず来るであろう。そうしたときのためにも、どのような経緯でイタチが放獣され、それによって今三宅島(図1)でどんな変化が進んでいるのか、整理しておきたいと思う。
図1 三宅島
図1 三宅島
 1986年。『採集と飼育、第48巻10号』において、私は伊豆諸島におけるイタチ放獣に対して、このような問題提起を行なった(1)。そもそも三宅島では、昭和45年ごろからネズミによる農林業上の被害が著しくなり、防除対策として三宅村からはイタチを放したい、との要請が東京都へ提出されていた。しかし、放獣によってアカコッコなど島の固有鳥類の減少が予想されるとして、ネズミ駆除か鳥類保護かをめぐって、賛否両論がたたかわされた。この時は、結局妥協案として試験的に雄イタチのみ20頭の放獣が認められ、昭和51年から52年にかけてイタチ放獣が実行に移されたのである。
 この試験的放獣の効果を明らかにし、将来本格的な放獣を行なうべきかどうかという問題は、1977年に設置されたオオミズナギドリ等調査委員会にその審議が付託された。翌1978年から1980年の3ヵ年をかけて、イタチの放獣が鳥類に及ぼす影響(予測)調査が、東京大学の樋口広芳博士を中心に行なわれたのである。この調査結果にもとづく審議の結論として、「島へのイタチ放獣は鳥類ばかりでなく、トカゲなど他の動物にも多大な影響を与える」と判断され、「今後は島嶼へのイタチ放獣は行なわないように」との提言がなされた。これを受けた都は放獣を認めず、殺鼠剤やワナによる駆除を進めることが決定されたのである。
 しかし、放獣の是非という問題については、島の経済事情や利害関係に依拠する島民の感情的な反応を抜きにしては語れない、という面もある。結局のところ、こうした心配にもかかわらず、イタチの放獣は現実のものとなってしまった。非公式な放獣であるから、誰が、いつ、どこで、どのようにしてそれを行なったのか、何匹のイタチが放たれたのか、雄雌の比率は、イタチの出身地はどこか、それはわからない。しかし、放獣には、複数のペアが含まれていたに違いない。そうでなければ、1983年以後、これほどまでに急激に増加するはずはなかったからだ。
 その後、以前から伊豆諸島の生物に深い関心を寄せ、精力的に野外調査を行なっていた島嶼生物研究会の有志8名は、三宅島の状況を憂慮し、現状把握のための調査を企画した。この企画は、トヨタ財団の研究助成を受けることになり、1983年10月から1年間の調査が実施された。当面の目的はイタチの放獣によって島固有の生物相がどんな影響を受けているのかを、可能な限り正確に把握することとしたが、問題を『学術的に貴重な固有生物の保護』に限ることなく、今後の離島における生物防除のありかたを探ろうとする意図があった。
 このメンバーの中で、私は爬虫類両生類への影響を担当した。イタチそのものの調査をしたわけではないが、イタチのとばっちりをまともに受けたトカゲたちのことを思い、あえて筆をとった。記述内容は、主として上記調査の報告書、『伊豆諸島のイタチ放獣に伴う生態系の変化、各島の生物相に関する予備的研究』と私自身の観察にもとづくものだ。

三宅島に放たれたイタチのその後

 伊豆諸島の三宅島では、相前後して2回の放獣が行なわれた。1回目が1975〜1976年に行われた雄だけの試験的放獣、2回目が1982年ごろの非公式な放獣である。1回目の放獣でイタチが増加することはありえない。放された20頭の雄イタチは寿命がつきるまでの数年間を細々と生きていただけのようである。樋口博士の報告書によれば(樋口1981)、この試験的放獣によるネズミ駆除の効果や、野生鳥類、オカダトカゲへの影響はほとんど認められていない。三宅島へのイタチの放獣は、行政的には事前に十分な科学的検討が行われ、放獣を行わないことになった。しかし、残念なことに非公式な放獣が行われ、イタチの姿が1984年以降頻繁に目撃されるようになった。そして、予想どおりに三宅島ではコジュケイとオカダトカゲの急激な減少、という事態が生じた(長谷川1986)。1984年に集めたイタチの糞には40ー80%の割合でオカダトカゲが含まれていたのだった。
 イタチは内温性の捕食者であり、同じ体重の爬虫類と比べて食物要求量がはるかに多い。推定方法は、体重を基に基礎代謝量を推定し、そこからさらに食物要求量を推定する。まず、イタチの体重のデータが必要である。イタチは雄と雌で大きさが異なる。八丈島で捕獲されて雄イタチ24匹の体重は平均して417g、3個体の雌イタチは平均170gであった。この値を推定式に代入して計算すると、雄イタチの場合1日当たり90g、雌イタチでは43gのトカゲを必要とするという値が得られた。十分に成長したトカゲを食べるとすると、雄イタチはトカゲを9匹、雌イタチでも4匹を一日に食べるという計算だ。雄イタチ1個体の捕食圧は実にシマヘビ1個体の30倍である。オカダトカゲがこれほど急速に減少した理由は、この大食らいにあったのである。
 10年後の1993年。イタチの糞を再調査した。ところが、オカダトカゲの痕跡(鱗や骨)を含む糞はわずか0.6%しか見つからなかった。不思議でも何でもない。オカダトカゲ自体がすでにほとんどいなくなっているのだ。もし、1984年の資料がなかったならば、イタチがオカダトカゲを捕食するというデータそのものが得られなかっただろう。イタチはオカダトカゲを食べるという証拠がない、などというばかげた結論を下す研究者が現われても不思議ではない。機会を逃してしまったら、証拠は残されず、事態はミステリーとなったに違いないからだ。

伊豆諸島における肉食性哺乳類の移入とその影響

 有史以来、現代にいたる鳥類と哺乳類の絶滅の75%は島で起きており、その原因のほとんどは移入生物の直接・間接的影響によるという(Frankel & Soule, 1981)。島における絶滅の原因の多くは、食物網の頂点に位置する捕食者の意図的あるいは無意識な移入に起因する。 
 伊豆諸島の場合、島の陸上生態系は食物連鎖の頂点に立つ捕食者の違いによってまず三つのタイプに分けられる(Hasegawa 1999; 図2)。肉食哺乳類(イタチ)が頂点に立つ島が大島、ヘビ類が頂点となっているのが新島、式根島、神津島で、鳥類が頂点に立っているのが三宅島や青ヶ島である。この区分は、伊豆諸島の生態系のありようを理解する上でとても重要である。例えば、イタチが食物連鎖の頂点に立つ島ではヘビも鳥類も少ない、イタチがいなくてヘビが頂点に立つ島では鳥類が少なく、そしてイタチもヘビもいない島では鳥類が極めて高密度である、というパターンが認められるからである(Hasegawa 1994, Hasegawa 1999)。伊豆諸島の三タイプの島々へ移入された脊椎動物は、以下の栄養段階構成要素に整理される。中型肉食者(イタチ、アズマヒキガエル)、小型肉食者(ヒバカリ、ツチガエル、モリアオガエル、ニホンアカガエル)、大型植食者(ニホンジカ、ヤギ、キョン)、中型植食者(タイワンリス)、大型雑食者(タイワンザル)、中型雑食者(コジュケイ、キジ)。このうち、筆者が長期観測の対象としているのは、三宅島のイタチ、新島のニホンジカとアズマヒキガエルであるが、ここではイタチの影響について紹介する。
図2 伊豆諸島の食物網構造
図2 伊豆諸島の食物網構造
 伊豆諸島の島々のうち最も大きいものは伊豆大島で約100km2、有人島の最小が3.4km2 の式根島である。これらの島々にはもともと大型の哺乳類は全く生息していない。人間を除けば最大の土着哺乳類は伊豆大島のイタチであり、その他は齧歯類と飛翔能力のあるコウモリ類にすぎない。そこに農作物に害を与えるネズミ類の駆除を目的としてホンドイタチが移入された。農作物に対するネズミ類の被害がひどく、その駆除のためにイタチが放された島は、もともとヘビ類がいなかった場合が多い(Hasegawa 1999)。伊豆諸島で実際にイタチが放されたのは、ヘビ類のいない3島のうちの2島(三宅島と青ケ島)と、もともとヘビ類がいた7島のうちの2島(利島と八丈島)である。土着のイタチが生息する伊豆大島やヘビ類が高密度で生息する神津島や新島では、農作物に対するネズミ類の被害は問題視されていない。イタチやヘビ類が生息する島では、ネズミ類の密度が低く押さえられていて、イタチ類の移入を必要としなかったためと考えられる。イタチの移入による群集構造の変化の規模やその程度は、移入前の1980年代初期と移入後約10年経過した1990年代初期に行われたオカダトカゲと鳥類のセンサス、地表を徘徊する小動物の落とし穴トラップによる調査から知ることができる(Hasegawa 1999)。
 イタチが導入された三宅島の生物相に起きた明らかな変化は、主として地上で採餌するオカダトカゲやアカコッコの減少であった(図3)。減少の程度はオカダトカゲの場合、移入前の千分の一から万分の一(Hasegawa 1999)、アカコッコの場合約二分の一であった(高木・樋口1992)。事実、1984年の春から秋にかけて採集したイタチの糞には40ー80%の割合でオカダトカゲが含まれており、オカダトカゲの激減はイタチの捕食圧によることが確認された(Hasegawa & Nishikata 1991)が、イタチの糞に占める鳥類の出現頻度は0-20%にすぎなかった(西方1986)。10年後の1993年にイタチの糞を再調査したところ、オカダトカゲの痕跡(鱗や骨)を含む糞はわずか0.6%で、最も多い餌生物は大型のムカデ(アオズムカデ)の24.4%となっていた(Hasegawa 1999; 図4)。1990年代に、オカダトカゲは三宅島で非常にまれな種となっていたから、イタチの糞にオカダトカゲがほとんど含まれないのは当然である。
図3 三宅島における導入イタチ及びオカダトカゲの個体数変動
図3 三宅島における導入イタチ及びオカダトカゲの個体数変動
図4 イタチによる捕食
図4 イタチによる捕食
 一方、落とし穴トラップを用いた調査によって、オカダトカゲの減少後に急激に増加した生物がいることがわかった。それはオオヒラタシデムシという甲虫である。この昆虫は幼虫、成虫ともミミズの死体を主に食し、以前はほとんど見かけることはなかったのであるが、1990年代には直径15cmの落とし穴が真っ黒になるほど採集されるようになった。オカダトカゲはこの甲虫を食べることはほとんどないが、両者にとってミミズは共通の餌資源である。オオクロツヤヒラタゴミムシなどのゴミムシ類も含めて、肉食性の昆虫はイタチの移入前の0.1/トラップ日から移入後の61.0/トラップ日にまで増加した。ゴミムシ類はメタクレゾールやフェノールなどの化学物質を分泌し、それがオカダトカゲからの捕食回避に効果を持っている(Hasegawa & Taniguchi 1996)。オオヒラタシデムシも幼虫、成虫ともに口器から体液を出す防御行動を示す。この行動がオカダトカゲの捕食行動をどの程度抑制しているのか、まだ確認されていない。しかし、地表徘徊性小動物のセンサスによってオオヒラタシデムシが多いことが確認されている大島や利島でも(長谷川未発表)、オカダトカゲの胃内容物からオオヒラタシデムシは検出されていない。同様に、ゴミムシ類の多い新島や神津島でもオカダトカゲによるゴミムシ類への直接的捕食は確認されていない(Hasegawa 1994)。このような観察から、オカダトカゲはオオヒラタシデムシやゴミムシ類の捕食者ではなく、ミミズ類を捕食する甲虫に対する競争者であると考えられた。イタチがオカダトカゲを直接捕食して激減させ、オオヒラタシデムシやゴミムシ類に対する競争圧が軽減し、その中でもオオヒラタシデムシが特に増加したと考えられた。 
 一方、かつて高密度で生息していたオカダトカゲは、その餌生物に対して高い捕食圧を与えていたと考えられる。イタチの移入によってその捕食圧が解除されたとすれば、オカダトカゲの主要な餌であったクモ類やミミズ類、端脚類、等脚類(Hasegawa 1994)の個体数にも顕著な増加がみられたはずである。しかしながら、三宅島のオカダトカゲが最も頻繁に餌として利用していた陸生甲殻類のニホンオカトビムシのトラップ当りの捕獲個体数にはほとんど変化が見られなかった。同様に、等脚類、アリ類、徘徊性のクモについてもオカダトカゲの激減前と後で変化はみられなかった(Hasegawa 1999)。
 アノールトカゲを頂点とする西インド諸島の小島の食物網に対する操作実験では、クモ類に対するトカゲの捕食圧が検出されたものの、その効果の大きさは食物網の下位に向かって小さくなる傾向があった。三宅島の場合は、それがさらに明瞭である。イタチがオカダトカゲの個体数に及ぼす影響の程度を移入前後の個体数比で表すと3ー4桁(千分の1から万分の1)であるが、オカダトカゲがその餌生物に与えていた影響はせいぜい1桁(10分の1以内の減少、10倍以内の増加)で、オオヒラタシデムシと同様にミミズを餌とするゴミムシ類の増加の程度は2桁に留まった。オカダトカゲが激減した直後には、かってなかったようなガの幼虫の大発生が起きたらしいが、詳しい記録は残されていない。少なくとも、1993年の時点で生産者である陸上植物の葉に植食昆虫の虫食い痕が目立つようなことはなかった。つまり、イタチの移入が下位の種の密度に与える影響は、直接の捕食対象であるオカダトカデに対して最も大きいが、下位に向かって次第に静まっていったのである。
 イタチの移入は、島の食物連鎖の最上位に捕食者を付け加え、連鎖の数が増えることを意味する。しかし、移入直後こそ、土壌動物—オカダトカゲ—イタチという3段階の連鎖が成立したものの、10年後にはオカダトカゲがほとんど絶滅し、連鎖の数はもとの2段にもどってしまった。そればかりでなく、かつてオカダトカゲが多かった頃には普通に生息していた猛禽類のサシバがほとんど見られなくなってしまったとも言われている。そうすると、食物連鎖は土壌動物—オカダトカゲ—サシバから土壌動物—オカダトカゲ—イタチ(サシバ)の段階を経て、土壌動物—イタチへと数を減らした。サシバがイタチを捕食することはないだろうが、両者はオカダトカゲという共通の餌資源をめぐる競争と言えるだろう。すると、サシバがイタチに競争排除されたことになる。イタチの移入が在来生物へ劇的な影響をもたらした原因のひとつは、三宅島に生息する多くの生物が有力な捕食者のいない状態で進化した結果、捕食者に対する警戒や有効な捕食回避行動を失ったことである。捕食者の移入が世界中の多くの島で三宅島と同様の結果をもたらしているのも、島の生物が有効な対捕食者戦略を失っているからであると説明されている(Frankel & Soule, 1981)。

アノールトカゲの教訓

 理論的には予測されることであっても、外来種の影響を移入の初期段階から的確に評価して、早期対策に結び付けるのは簡単ではない。三宅島での経験(イタチが定着したあとのオカダトカゲの生息状況に関する観察)に基づいて、小笠原に持ち込まれたアノールトカゲの将来について楽観的に予測していた。いずれ「モズが定着し、アノールの密度を低く抑え、そういう場所ではオガサワラトカゲが復活する」であろうと。事実、父島の南袋沢という場所では、アノールの少なくなった地域でオガサワラトカゲの回復が見られたのだった。一方で、母島でのアノールは全く異なる状況にあった。すでに島の南半分に分布を広げ、最北端の北村の一角にも飛び地分布を形成していた。数年を経ずして島全体に広がることは目に見えていたし、その密度も非常に高くなっていた。それでもなおアノールトカゲが島固有の昆虫に大打撃を与えることになる可能性に注意を払っていなかった。
 生物の相互関係に注目して、同じ場所で同じ期間に複数の生物の動向を監視することが生態系の総合的なモニタリングである。この活動に参加することによって、自然界における生態学的関係性の重要性に開眼することができる。しかし、それでもまだ十分とは言えない。一人の人間、少数の人間が考え、発想することに避けがたい限界があるからだ。もし、そうしたことに意識が向いていれば、母島に入ったばかりで沖村の周辺にしかいなかったアノールトカゲをその時点で根絶させるべきだと声を上げていたはずである。昆虫の世界に起き始めていた異変に目を向け、耳を傾けていただろう。1つの場所に長く通い続け、お気に入りの生物を観察し、その個体数(個体数そのものでなくても指標となる数字)を丹念に記録することが、生態系に起きつつある変化(兆候)に気付く一番の近道である。そしてその次に行うべきことは、その兆候がどのような変化をもたらすことになるのか、予測できる事態に備えて、今何をすべきなのかを考えて実行に移していくことだ。しかし、このことを個人や少数のグループで考えて結論を出してしまうのではなく、広く情報交換、意見交換を行うべきなのだ。
 三宅島でのオカダトカゲとイタチの関係を告発した私にとって、小笠原での苦い経験は痛恨の極みだった。「トカゲ好き」という感情が論理的思考の妨げになっていたに違いない。御蔵島には、野生化したノネコという問題がある。御蔵島の自然と生活を支えてきたオオミズナギドリ(かつおどり)失う、森を失う、ということになってはならないと思う。「猫が好き」という感情が、冷静な判断と対処の妨げにならないことを切に願うばかりである。
今回の原稿は、すでに出したものに、文を追加したものです。初出は、公開シンポジウム「御蔵島の外来種問題を考える」講演者寄稿特集の原稿として、Mikurensis (2017) Vol.6, pp. 56-61–みくらしまの科学– 掲載されました。この原稿は、それに加筆して掲載したものです。初出記事は、下記URLを通じてダウンロードできます。

引用文献

  1. Frankel O. H. and M. E. Soule. 1981. Conservation and evolution. Cambridge University Press.
  2. 長谷川雅美.1986.伊豆諸島の爬虫両生類相に及ぼすイタチ放獣の影響.島の生物1(13,14,15):125-135.
  3. Hasegawa, M. and S. Nishikata. 1991. Predation by an introduced weasel Mustela itatsi upon Eumeces okadae on Miyake-jima, Izu Islands. Natural History Research 1(2):53-57.
  4. Hasegawa, M. and Y. Taniguchi. 1996. Behavioral discrimination of prey with various defense mechanisms by the lizard Eumeces okadae. Journal of Ethology 14:89-97.
  5. Hasegawa, M. 1994a. Insular radiation in life history of the lizard Eumeces okadae in the Izu Islands, Japan. Copeia 1994 (3): 732-747.
  6. Hasegawa, M. 1999. Impacts of introduced weasel on the insular food web. In H. Ohta (ed) Diversity of reptiles, amphibians and other terrestrial animals on tropical islands: origin, current status and conservation. p.129-154. Elsevier
  7. Hasegawa M. 2003. Ecological diversification of Insular Terrestrial reptiles: A review of the Studies on the Lizard and Snakes of the Izu Islands. Global Environmental Research 7(1): 59-67.
  8. 長谷川雅美.2005.身近な自然を見つめる目 自然環境モニタリング調査のすすめ.日本自然保護協会 p. 60
  9. 樋口広芳.1981.鳥類生息調査-島しょにおけるイタチ放獣が野生鳥類に与える影響-.鳥類生息調査報告書. 東京都労働経済局.
  10. 西方幸子.1986.イタチの生息調査-伊豆諸島のイタチ放獣に伴う生態系の変化.島の生物 1(13,14,15):148-155.
  11. 高木昌興・樋口広芳.1992.伊豆諸島三宅島におけるアカコッコの環境選好とイタチ放獣の影響.Strix 11: 47-57.

地理生態学研究室 長谷川雅美

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