理学部生物学科

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アロマと嗅覚、そしてストレス

はじめに

 動物には嗅覚があり、さまざまな香りを認識しています。ヒトでは、ストレスを抑制する方法の一つとして、昔からアロマ(図1)がよく用いられてきました。したがって、香りは脳機能の変化を引き起こすと考えられますが、アロマの影響に関する神経科学的解析はほとんど行われていません。しかし、最近、嗅覚受容体の存在が証明され、嗅覚に関する研究が盛んになってきたことから、アロマの効果が神経科学的に証明される日は遠くないと考えられます。
図1 代表的なアロマオイルの原料として知られているラベンダー

嗅覚とは

 嗅覚は系統発生的に古く、多くの動物で高度に発達していますが、視覚などの他の感覚に頼ってきたヒトではあまり発達していません。鼻粘膜の特定の場所に嗅上皮があります(図2)。ヒトの嗅上皮は鼻腔内の鼻中隔付近の上部に存在し、5,000万個の嗅神経を含んでいます。このように、嗅上皮は神経系が外界に最も接近している部分です。嗅神経の軸索は篩骨の篩板を通って嗅球に投射しています。嗅神経の樹状突起の先端(嗅小胞)には6~12本の線毛があります。この線毛は無髄の突起で、鼻腔内に伸びていて、嗅覚受容体をもっています。

 嗅球では、嗅神経の軸索が僧帽細胞と房飾細胞の主樹状突起に達していて、嗅糸球体を形成していることが分かっています。僧帽細胞と房飾細胞は機能的に類似していて、ともに嗅覚皮質に軸索を送っています。さらに、嗅球には糸球体周辺細胞(抑制性神経)が存在し、1つの糸球体を他の糸球体へ結合しています。また、顆粒細胞には軸索が無く、僧帽細胞と房飾細胞の副樹状突起との相反性シナプスを形成しています。このシナプスで、僧帽細胞または房飾細胞がグルタミン酸を放出して顆粒細胞を興奮させ、顆粒細胞はγ-アミノ酪酸(GABA)を放出して僧帽細胞または房飾細胞を抑制しています。

 僧帽細胞と房飾細胞の軸索は、外側嗅索を経て嗅覚皮質(前嗅核、嗅結節、梨状皮質、扁桃体、内側嗅皮質)の錐体細胞の先端樹状突起に終止しています。この部位から香り情報は直接前頭皮質に伝えられたり、視床を経て眼窩前頭皮質に伝達されたりします。眼窩前頭皮質への経路は香りの認知に関する弁別に関与しています。扁桃体への経路は匂い刺激に対する情動的反応に関係していると考えられています。また、内側嗅皮質への経路は嗅覚性記憶に関係しています。
図2 嗅上皮の構造

嗅覚研究でノーベル賞

 米国コロンビア大学のRichard Axel博士とフレッド・ハッチソン癌研究センターのLinda Buck博士は、2004年に「嗅覚受容体遺伝子の発見と嗅覚感覚の分子メカニズムの解明」でノーベル医学生理学賞を受賞しました。その業績の一つは、嗅覚受容体を作る遺伝子を特定したことです。一つの遺伝子が一つの嗅覚受容体を作りますが、受容体の数(遺伝子の数)はマウスで約1,000種類あります。ヒトでも約350種類あり、全遺伝子の1%を占めています。約1,000種類もの嗅覚受容体をコードしている遺伝子は、哺乳類で最も大きな遺伝子ファミリーを形成していることになります。業績の二つ目は、約1万種類もの異なる香りをどのようにして感じることができるのかという疑問に対する答えを得たことです。一つの嗅神経細胞は一種類の受容体を発現しますが、各嗅神経は1~2個の糸球体に投射していて、同じ受容体を発現する神経はある特定の糸球体に収束していることが分かったのです。したがって、受容体の組み合わせにより香りの多様性を区別する仕組みが明らかになりました。つまり、一つの匂い分子がいくつもの受容体に反応するため、ヒトには約350種類の受容体しか存在しないにも関わらず、1万種類もの香りの判別が可能になると考えられます。

アロマと生体

 アロマが嗅覚経路に作用することは疑う余地もありません。上に述べた通り、哺乳類の嗅神経細胞には約1,000種類の香り物質に対応する受容体が存在し、1個の嗅神経は1種類の受容体をもっています。特定の嗅覚受容体を発現する嗅神経の軸索は、嗅球の糸球体に投射していて、嗅球には匂い地図がつくられています。嗅球に達した香り情報は次の神経に伝達され、大脳辺縁系に達します。大脳辺縁系は学習・記憶、情動などの機能と密接に関連している部位です。そして、香り情報はさらに視床下部に伝えられます。視床下部は自律神経系や内分泌系を支配しています。

 アロマは、その種類によって交感神経系あるいは副交感神経系に作用します。自律神経系は交感神経系と副交感神経系から成っています。交感神経系はストレスまたは緊張状態に備えるような働きをしていて、心拍数・呼吸数・血流量の増加、血圧の上昇、および消化運動の抑制などを引き起こします。副交感神経系はリラックスした状態で働き、心拍数・呼吸数・血流量・血圧の低下を引き起こしたり、消化運動を活発にしたりします。つまり、香りを嗅ぐことは中枢神経系を刺激あるいはリラックスさせる効果をもつわけです。また、香り情報は内分泌系を介してストレス状態に対応したり免疫能に影響を与えたりします。ストレスが負荷されると、視床下部からのコルチコトロピン放出因子の分泌が促進され、下垂体前葉から副腎皮質刺激ホルモン、副腎皮質からはグルココルチコイドが分泌されます。そして、最終的に免疫能の低下が引き起こされます。一方、リラックスした状態ではグルココルチコイドの産生・分泌は低下し、免疫能が増強されます。このように、エッセンシャルオイルの香りは嗅覚と感覚認知に影響を与えるだけではなく、自律神経系、内分泌系、免疫系などにも作用し、生体機能の調整に関与すると考えられます。
図3 アロマオイルの小瓶(イメージ)

アロマと脳

 アロマの効果として期待されるのは、多くの場合、副交感神経系の機能亢進によるリラックス効果だと思います。最近、アロマの中には抗不安作用、鎮静作用、抗うつ作用などのストレス軽減効果を有するものがあることが明らかにされつつあります。したがって、香りは脳機能の変化を引き起こすと考えられますが、神経科学的に証明されているわけではありません。

 はたして、香りを嗅ぐと脳内因子に変化は生じるのでしょうか。ストレスによって分泌が促進されたグルココルチコイドは脳に作用して海馬における神経細胞の退行性変性を引き起こします。そして、ストレスが高じて海馬が委縮した状態に至るのがうつ病です。最近、ラベンダーの香りは抗うつ・抗不安作用を有することが行動科学的解析に示されています。我々は、ストレスからうつ病発症に至る過程の脳内変化を調べている際、ストレスによって生じる脳内遺伝子・蛋白質の発現変化が、コーヒー豆の香りによって抑制されることを見出しました(生物学の新知識「香りがストレスを抑制する?不眠ストレスに対するコーヒーアロマの癒し効果」)。これは、ストレスに応答するバイオマーカー(ストレスマーカー)候補の探索のため、脳のトランスクリプトーム解析(遺伝子発現解析)やプロテオミクス解析(蛋白質発現解析)を行っていた際、香りの効果に注目してみたことがきっかけで発見したものです。最近、アロマオイルの影響を調べたところ、ラベンダーやヒノキの香りが脳内の神経栄養因子受容体(NGFR)遺伝子の発現を増加させることが分かりました。また、ヒノキをはじめいろいろなアロマオイルに含まれているα-ピネンの香りを嗅いだマウスの海馬では、脳由来神経栄養因子(BDNF)の遺伝子発現レベルが上昇していました。NGFRやBDNFは、神経の成長・維持に重要な役割を果たしており、その発現はストレスによって低下するため神経細胞死が起きるといわれています。このように、香りのストレス抑制効果は、実際に脳内因子の発現を変化させることによって発揮されるものであることが分かってきました。

まとめ

 2004年に嗅覚受容体遺伝子が発見されて以来、嗅覚受容体を含む嗅神経から嗅球にかけての形態や機能に関する研究は著しく発展しています。ところが、どのように香り情報が脳内で処理され、知覚が形成されるのかについては、充分解明されているとはいえません。最近、香りが実際に脳内因子の発現変化を引き起こすことが明らかにされつつあります。今後、香りによって生じる脳諸部位の変化を詳細に解析して、香りが脳機能に及ぼす影響について機能形態学的な知見を蓄積していく必要があります。

神経科学研究室:増尾好則

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