理学部生物学科

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ドーキンズの島

『生態学者はかって研究のすすめかたの上から、生物の個々の種の生活を調べるのを個生態学、多数種の生物の繋がりの上での生活調査を群生態学とよんだ。私は初め蜂の生活を種の単位で調べる自分を前者に属するものと思っていた。しかしはじめて間もないうちに、野外では焦点を単一の種にしぼることが不可能なことに気づいた。すべての蜂が他の多くの生物との関連の中で生きていることを知った。たぐりよせてゆけば、野外の一つの地域にすむ生物は、すべてがどこかでお互いに繋がっていると推測された。そして私の対象にしている蜂が、巣というものを設けること自体が、彼等のエゴイズムのあらわれというか、外界の他生物を利用するだけ利用した後で、自らは利用されまいとする試みであるのに気づいた』(岩田久二雄、1967)

寄生されるトカゲ

 伊豆諸島に島々には七島熱と呼ばれるツツガムシ病がある。私はまだ経験したことがない。ツツガムシという、ダニのような小さな節足動物がリケッチアを媒介し、感染して発病すると高熱を発するのだ。三宅島でオカダトカゲを捕まえてよく見ると、鱗の隙間、とくに総排泄孔のまわりに体長1mmに満たない赤い色のムシがついている。これがツツガムシである。そのうちに、もっと大きく、足の短いクモのような節足動物を前肢の肘の部分に付けたトカゲが見つかった。マダニである。オカダトカゲの身体に取りつき、血液を吸い、時に死にいたらしめる非常にやっかいな寄生者だ。この寄生者と宿主のオカダトカゲの関係に注目したことが、思えばオカダトカゲをめぐる生物群集研究への端緒であった。

 マダニ類は普通、哺乳類や鳥類のような恒温脊椎動物に寄生し、爬虫類に寄生するものはほとんど知られていない。本州では、フタトゲチマダニという種類の幼若ダニが、カナヘビに寄生することが報告されていたが、成ダニはかならず哺乳類に寄生するという。もちろん、オカダトカゲにマダニが寄生していることに気がついた当時は、そのようなことは全く知らなかった。ところが縁とは不思議なものだ。大学院で1年先輩の林文男さんは、信州大学の卒業研究でマダニの生活史を研究していたのだ。都立大学では水生昆虫のヘビトンボの摂食生態を研究テーマとしていたが、これは好都合だと、さっそく林さんを三宅島にさそった。オカダトカゲに寄生するマダニの正体、そしてその生態を一緒に調べてほしいと頼んだのだ。

 林さんと知り合う前、私が見ていたのは、吸血して体が膨らんだ状態で5ー6mmの大きさのマダニであった。林さんによれば、これは雌の成ダニである。マダニは卵から孵化したのが幼ダニ、それが脱皮すると若ダニになり、もう一度脱皮して成ダニとなる。吸血するのは雌だけで、雄は吸血しない。カと同じである。マダニの種を同定するには腹部の背面を被う背板という体のパーツの形やそこに生えている毛の数などが決め手となる。採集したマダニを実体顕微鏡で観察したところ、わりあい簡単に正体が明らかにされた。アサヌママダニという、奄美群島の加計呂麻島で最初に採集され記載された種である。

 家畜や人間に寄生する恐れのあるマダニ類は衛生害虫としての研究が進んでいるが、そういうことに関係のない種の生活様式はわからないのが普通と思ってよい。アサヌママダニも例外ではなかった。そこで、私たちは話し合い、オカダトカゲの調査のついでにアサヌママダニの発育ステージや寄生部位、その数を記録し、このダニの生活史を解明しようということになった。私としては良い調査助手ができたと内心ほくそ笑み、林さんの方もマダニの生態を知る上で欠かせない寄主の生態的情報が容易に手にはいることを喜んだに違いない。オカダトカゲの繁殖期には雄の成熟個体の前肢の肘に8個体ものマダニが寄生していたこともあり、もし私が仏心をだしてダニを駆除してあげていたならば、林さんとの共同研究も成立していなかっただろう。というよりも、トカゲの研究者がダニの研究者に寄生して研究を行うということもなかったに違いない。

 さて、野外で捕獲したオカダトカゲの身体検査からは次々と興味深い事実が見つかった。1つは、幼ダニ、若ダニ、成ダニ全ての発育段階がオカダトカゲの体に寄生していたことだ。これは、アサヌママダニがオカダトカゲを寄主として生活環を全うすることを示すきわめて重要な証拠であった。もちろん慎重な林さんは飼育下で充分に血を吸った雌ダニから採卵し、孵化した幼ダニをトカゲに寄生させ、それが成長して再び卵を産むまでのサイクルを確認し、野外でのデータと併せてアサヌママダニがトカゲの専門的寄生者であることを証明した。成ダニはどの年もオカダトカゲの繁殖期である4月から5月上旬に現れ、しばらくダニのいないきれいな体の時期を経て7月頃から幼ダニの寄生が目立ち始めた。そして若ダニは8月から10月ごろに見られた。アサヌママダニはオカダトカゲの血液だけを吸って1年に1世代の生活を繰り返していたのである。

 2つめの発見は、アサヌママダニがオカダトカゲに寄生する場合に、トカゲの体のどの部分に寄生するのかが、ダニの発育段階によってきっちりと決まっていたことだった。春先に目立つ成雌ダニの寄生はきまってトカゲの前肢の肘の部分であり、ほかの場所にとりついていたのはたったの数%しかなかった。次ぎに卵から孵化した幼ダニが寄生したのはトカゲの四肢の指の鱗や指と指に間であった。この場合前肢にも後ろ足にも同じように寄生していたが、寄生されているトカゲを観察していると、時々体を曲げて後ろ足の指を口にくわえ、すきとるような動作をしていることがあった。後ろ足の指に寄生した幼ダニの何割かは駆除されてしまったかもしれない。若ダニの寄生部位は成ダニとも幼ダニとも異なり、トカゲの腹部や脇腹の鱗の隙間であった。なんとも見事な吸い分けである。

 このような寄生部位の選択性は明らかにマダニの積極的な選択によるものであって、適当にトカゲの体のあちらこちらに寄生して、具合の悪い場所から移動してやり直したり、あるいは吸血前に脱落したりしたのではなかった。このことも慎重な林さんが、私にとってはちっとむずがゆくなるような実験だったけれど、未吸血の幼ダニ、若ダニ、そして成ダニをトカゲの体の上に乗せ、ダニが自らトカゲの体の上を移動して所定の場所に落ちつく過程を記録し、証明されたのである。

 私は当時も今と同じように、室内で何か実験することよりも野外で観察や測定をしてフィールドノートに文字や数字としてデータを持ち帰ることに専念していた。1人で三宅島に行き、フィールドから帰って、その月の野外での寄生率のデータを林さんに手渡すころには、林さんは飼育下で着々とトカゲに特殊化しているアサヌママダニの特徴を暴いていた。

 3つめの発見は、血を充分に吸ったマダニが寄主の体から離れるタイミングと、脱皮後再び寄主にとりつくための工夫、に関するものである。十分に給血した状態、これを飽血と呼ぶ、に達するとマダニは一時的に寄主の体を離れて、脱皮する。卵から孵化した幼ダニは地表でトカゲが通るのを待ち、これにとりつく。そして飽血すると、脱落する。脱落するのに特別な時間帯はあるのだろうか。林さんはこの問題を巧みにあばいていった。どうしたかというと、下に白い紙を敷いたフルイの中に充分飽血したマダニを付けたオカダトカゲを入れて飼育し、だいたい1時間毎にフルイの隙間から落ちたダニを回収して数え、脱落のタイミングを決めていったのだ。それでわかったことは、脱皮してからもう一度トカゲに寄生しなければならない幼ダニと若ダニはトカゲが地中で眠る夜の間、特に夜明け前に落下することだった。マダニ類は乾燥に弱く乾燥するとすぐに死んでしまうという。すなわち、夜明け前、トカゲの寝床に落下することは乾燥を避け、かつまた脱皮して次のステージに進んだダニが同じ場所を利用する同じトカゲ、あるいは別のトカゲに寄生するチャンスを高める行動であると解釈された。一方、飽血した雌ダニの落下のタイミングは幼若ダニのタイミングと異なり、昼間であった。雌ダニは体も大きく、幼若ダニと較べても乾燥に強い。夜間トカゲの寝床で落下してそこでそのまま産卵すると、幼ダニの分散が制限されてしまうだろう。林さんはそう考えた。分散の必要性が、乾燥の危険性を押さえ込んだかたちでの落下のタイミングとして捉えることができる。以上3つの特徴はアサヌママダニという寄生者がオカダトカゲという寄主の上でいかにしてうまく寄生生活を行っているかを物語っていた。

 こうして私はアサヌママダニの生態に関する3つの論文の第2著者としてまんまと寄生生活をなしとげた。しかし、オカダトカゲがアサヌママダニに寄生されることでいったいどんな不都合を被っているのかが問題となり始めてきた頃、私は内心心穏やかならざるものを感じ始めていた。林さんはヘビトンボの研究を本業とし、アサヌママダニは余技である。器用な林さんのことである。その余技がマダニを介してオカダトカゲに及び始めると、私にとっての本業が脅やかされるのじゃないか、という気持ちが高まってきた。心の狭いことである。実際のところ、雌ダニの寄生が甚だしい個体の場合、オカダトカゲの前肢は壊死を起こして指の一部あるいは全てを失うという場合が観察されていたので、ダニの寄生によってオカダトカゲの生存率が低下している可能性が高かったのだ。ダニの寄生がオカダトカゲの生存率に与える影響を調べる前に、ダニの寄生がトカゲの体に組織学的な劣化をもたらしていないかどうか、先ずそのことを調べてみた。私が別の目的で採集して標本にしてあったものの中から、腕にダニの付いている個体を選び、林さんが腕の組織標本を作製し、皮膚や筋肉組織の状態を観察した。その結果、ダニが吸血していた部分の筋肉が消失あるいは萎縮し、筋肉の異常は骨の周囲にまで及んでいることがはっきりと確認されたのだ。

 ここまでくると、ダニに寄生された個体とそうでない個体の生存率の違い、雄の場合ならば雌との交尾の成功率、雌であれば卵の数などに影響が現れていないかどうかが気になってくる。私の本業というのは、まさに三宅島に生息するオカダトカゲの人口動態を明らかにすることであったから、これらの問題はまさに私のものであるべきだと考えていた。そういうわけで、アサヌママダニの3つめ論文に生存率に差があるかどうかのデータを組み込むかどうかをめぐってちょっとした議論があり、結局のところ私はそのデータを載せてほしくないと言い張り、林さんを困らせ、最終的に主張を通してしまった。データは微妙な数値であり、わずかではあるが寄生による負の影響がみられていた。フィールドでの林さんの協力は考えてみれば多大なものがあったのだから、充分筋の通った要求のはずであった。しかし、まだオカダトカゲの本業に関する論文を発表していなかった私にしてみれば、それを拒否しないでいることはできなかった。共同研究におけるデータの共有は微妙な問題であり、圧倒的な力の差があるか、はじめから契約を結んでおくか、それとも絶対的な信頼関係が築かれている場合でないとうまくいくものではないのかもしれない。

 林さんとの寄主-寄生者に関する共同研究は同じ大学院生同志のものであっただけに緊張感があった。よい経験であったとは言えるが、後悔の思いも残っている。共同研究の良さは突き詰めて言えば、2人が組んで2人分以上の成果を上げること、そして適度な緊張感と刺激が得られることである。たしかに、どんな些細な発見であってもそれが誰のものであるのかは、当事者にとって一大事だ。ただし、それにこだわり過ぎると、人間関係を狭くし、研究の可能性を自分から閉ざすことになる。

 オカダトカゲの種の生態学から出発し、それをとりまく生物群集を意識的に、そして芋蔓式に研究し始めたときに思い起こされたのは、林さんとの共同研究であった。トカゲとダニの寄主-寄生者に関する研究では、群集とか生態系という語句はほとんど意識に上らなかったけれども、結果的には島の生物群集の絡み合った蔓を確実に1本解いたのであった。しかし、それは一人では決してなし得なかった成果である。島の生物群集へ取り組み始め、1つ1つのつながりを順々に手繰り寄せようとする意思を持ったとき、その蔓を一緒に引っ張ってくれる仲間が欲しくなった。そして、いつのまにか共同研究者のコミュニテイーができあがっていくことを夢見るようになっていた。
写真1 左前足の肘の内側に外部寄生するマダニ
写真1 左前足の肘の内側に外部寄生するマダニ

アリ食うトカゲ

 爬虫類の研究者を志していた私ではあるが、なぜかアリとの縁がある。アリはそれこそありとあらゆる場所に出没する昆虫だ。地球上で約9500種が知られている。起源をさかのぼると、アリは約1億年前の恐竜時代の真っただ中に現われ、それ以来地球上にあまねく広がった。イギリスの昆虫学者B.C.ウイリアムズの推定によれば、ある瞬間に地球上に生存する昆虫の個体数は10の18乗(100京)となり、それをもとにして計算したアメリカとドイツのアリ学者、ヘルドブラーさんとウイルソンさんによれば、アリの個体数は1京(1万兆)で、アリ一匹当たりの平均的な体重を1?5ミリグラムとして、世界のアリを全部合計すると、およそ人類全体の重さに匹敵するという。

 これほどの個体数にもかかわらず、アリを常食としている動物は以外と少ない。アリは独特の防衛システム(毒のある針、強力な顎による噛みつき、固い外骨格、蟻酸のような防御用化学物質の分泌)を備え、その割に1匹1匹のアリの食べられる部分が少ないため、何でも屋の小動物たちは、この小難しい昆虫を食べようとはしないからだ。そのかわり、哺乳類ではアリクイ、鳥類ではアリスイ、カエルではヤドクガエル、トカゲではツノトカゲというように、いろいろな動物群の中にアリを専門的に捕食する種類、あるいはグループがいる。トカゲに限ってみても、オーストラリアの砂漠にすむモロックトカゲの場合、胃内容物の個体数比で、99.1%までがアリで占められている。北アメリカの砂漠で、モロクトカゲの生態的同位種とみなされているツノトカゲの場合は、胃内容物の59%がアリで、甲虫が24%だ。アメリカ合衆国テキサス大学のピアンカ教授によれば、こうしたアリ専門食者たちは、解剖学的、行動、活動時間、体温調節、さらに繁殖習性にいたるまで、相互に関連してアリ類専門食化への適応をみせているという。

 アリは小さく、そのうえ消化できないキチン質の割合が高いから、アリだけで生計を立てようとすると、大量に食べなければならない。したがって、アリ食専門者たちの胃袋は身体の割に大きく、体重に対する胃の容積は、ふつうのトカゲの平均6.4%に対して、13%に達するという。このように大容量の胃袋を持つため、ツノトカゲの体型はガマガエルのように寸胴となり、その結果逃げ足の早さを犠牲にしている。そして、ツノトカゲ自身が捕食者から逃れるために、その名前の通り、体中にトゲトゲのツノを防御用に生やし、体色を背景に紛れこますような自然選択が働いた、というのである。アリをつかまえるのは、働きアリたちが巣の外で餌を集めたりしているところなので、アリの通り道や行列のそばにじっとしていて、通りかかるアリをパクリパクリとやる。炎天下でも夕暮れ時でも、アリさえいればその近くで蟻を待っている。一日の活動時間は、他のトカゲよりもずっと長くなり、低温や高温にさらされて、体温は一日のうちでも大きく変動する。こうして、アリという特殊な餌を食べるための形態的、行動的な連関が成立していったという。

 普通のトカゲはたいていアリを嫌う。オカダトカゲのように、広く動き回って好きな餌を探し出して食べるタイプのトカゲの場合、特にその傾向が強い。ツノトカゲと同じ砂漠にすんでいるハシリトカゲの仲間はもっぱらシロアリや土の中に隠れている昆虫の幼虫を前肢で掘り出して見つけて食べ、昆虫が隠れている場所を探すときにはかなり強力な臭覚を使っているらしい。ピアンカ教授が調べたハシリトカゲ類の胃内容物に占めるアリの個体数比は、たったの0.4%だった。そして、私の関心の的であったオカダトカゲの仲間たち、アジアや北アメリカのEumeces属(現在はPlestiodon属へ名称変更)のトカゲも、たいていアリを食べないものだと言われていた。

 1980年6月半ば。三宅島で卒論の調査を始めてもうすぐ1年になろうとしていた頃のことだ。梅雨時の蒸し暑い高曇り日、石垣の上に新鮮なオカダトカゲの糞を見つけた。長さ1.5cm、幅8mmくらいの褐色のウンコの中に昆虫の頭がいっぱい詰まっている。幅が3mmくらいある大きなアリの頭である。トカゲの糞はいわゆるウンコの部分とオシッコが大抵いっしょになっている。ウンコは言うまでもなく食べたものの不消化排泄物。昆虫の表面をおおっているキチン質や毛髪やウロコ、羽毛の表面を保護しているケラチンなどの蛋白質は消化されずに排泄される。アリの身体をおおっている強靭なキチン質がトカゲの消化管を素通りしてウンコになったのだ。オシッコはわれわれ人間のように、完全な尿素、の液体ではなく尿酸の白い結晶のかたまりだ。

 朝方、夜の隠れ場所から出てきたオカダトカゲは、日当りの良い場所に陣取り日光浴を始める。これがオカダトカゲの一日の始まり。日課のようなものだ。身体が暖まってくると、それまでからだをぴったりと地面に付けて日光浴をしていたのに、なにやらもぞもぞとし始める。脱糞の時間だ。後足をふんばり、尻尾の根元を少し持ち上げ、少しいきむような感じで濡れてつやのある黒っぽいウンコと真っ白なオシッコ、つまり尿酸のかたまりを押し出す。トカゲはそのまま前進して、したばかりの糞がしっぽに付かない位置に進み、それからしっぽをゆっくりと下げる。そして、肛門(正式には、ウンコとオシッコ、それに卵まで全部いっしょに出すので総排泄孔と呼ばれる)を地面に押し付け、まわりの湿りけやウンコの残りをこすり取るような動作をする。

「紙はいらないのかな、糞切れのいいやつだこと」。朝、早起きしてまだ自分が便所に行ってなかったことを思い出した。すると、腹が差し込んできたので、しかたなく近くの薮に潜り込み、用を済ませた。

 朝のウンコには、だいたい前の日に食べられた餌の不消化排泄物が含まれている。6月半ばの三宅島で見つけたウンコの中のアリの頭は、クロオオアリの女王アリのものだった。さらに、この日につかまえた15匹のオカダトカゲを解剖したところ、そのうちの2匹の胃中には、羽を付けたままのクロオオアリの女王アリ、もう一種類は種不明、が入っていた。「おかしいな、アリは嫌いなはずだったのだけどな」。次の月、15匹中1匹のトカゲがアリを食べていた。このアリは働きアリだった。羽を落とした女王アリと、もともと羽のない働きアリを区別するには、アリの背中、胸の部分の背中側を見るとよい。羽の付いていた場所に小さな傷のような痕が残っているからだ。さらにその翌月、真夏の八月の採集結果をみてみよう。27個体捕獲したうち、アリを食べていたトカゲは12個体、44%の高率である。しかも、食べられていたのはほとんどが働きアリだった。もちろん、女王アリも食べられていたが、6月の時とは種類が違って、オオズアリの一種、トビイロシリアゲアリ、ケアリの一種(たぶんトビイロケアリ)とかであった。食べられていた働きアリはオオズアリ、アミメアリ、クロオオアリなどだった。こうなると、Eumeces属のトカゲがアリをたべないという話しは成り立たなくなってしまう。いったいどういうことなのだろうか。

 翌9月と翌年の4月、15匹と22匹のトカゲをつかまえて解剖をした。次々と胃袋を開いていっても、アリは一匹も出てこない。出てくるのは、9月には大きなコオロギやバッタにミミズ、4月にはまるまると成長したガの幼虫、それに死ぬと赤く変色するエビのようなオカトビムシだ。アリがいなくなったわけではない。オカダトカゲが徘徊している地面といわず、木の幹、葉っぱの上まで、アリは春早くから秋遅くまでいたるところにたくさんいる。それにもかかわらず、コオロギやバッタにミミズ、ガの幼虫が手に入る時期には、アリを食べていない。これが三宅島のオカダトカゲのアリ食の実情だった。

 餌の乏しい環境では、消費者たちは、価値の低い餌を無視してもっと栄養値の高い餌を探す余裕がない。餌を探す時間がかかるし、発見できる確率も低いからだ。こういう状況では、出会った餌であれば何でも、とりあえず食べてしまう。その結果餌メニューは多様になる。

 これに対して、餌が豊富にあるとどうなるか。トカゲは質の劣る餌をやり過ごし、質の高い餌を長い時間をかけて探し、それでも十分に腹を満たすことができる。餌が豊富にある場合には、質の高い餌を選り好みして食べ、餌メニューの多様性はかえって低くなるのだ。ピアンカ教授は、北アメリカの砂漠にするハシリトカゲの食性を調べてみた。冬の間に砂漠に降る雨の量が平年よりも少ない場所と、たくさん降った場所で較べると、雨の少ない場所で餌メニューが多様になり、雨の多い場所でメニューが単調になっていた。餌の選び方の経済的判断は、ハシリトカゲの場合予想通りだった。

 三宅島のオカダトカゲも砂漠のハシリトカゲと同様に季節による餌の乏しさの変化に対応して、アリを食べたり食べなかったりしているのかもしれない。オカダトカゲの生息密度がもっと低い神津島や伊豆大島と較べると、三宅島のオカダトカゲの胃内容物は、全体の容量が半分ほどしかなく、餌メニューが多様で、しかも1つ1つの餌のサイズが小さかった。なにより、神津島や大島では、働きアリを食べていなかった。アリを食べていた場合があっても、それは全て女王アリだった。働きアリを食べるというのは、どうやらかなり食生活に窮したオカダトカゲたちの窮余の策らしい。

 8月の三宅島は足の踏み場がないくらいオカダトカゲがあふれかえっていた。温度も高く、したがって代謝も盛んで、トカゲたちは春や秋よりも餌をたくさん食べようとする。孵化したばかりの子供トカゲから、子の保護を終え巣から出てきたばかりのガリガリに痩せた雌トカゲ、1才と2才の未成熟個体、それに3年以上たった大人のトカゲ、あらゆる世代のトカゲが餌を求めて森の林床や道端の落ち葉の下で餌を探している。餌をめぐるトカゲたちの競争にもけっこう厳しいものがある。捕獲調査の合間に、ボーと観察し、こんな記録をとった。
『1980年10月14日。三宅島、阿古錆ケ浜港裏手、11:19、一匹の雌Aが約5cmのアカムカデを朽ちた倒木の下からくわえて引きずり出してきた。それをもう一匹の雌Bが近づいてきて、ムカデをくわえたままの雌Aを激しく追いかけた。両者4mほど一直線にダッシュした。雌Bは途中で追跡をやめ、日光浴を始めた。雌Aは視界から消えた。

 別のトカゲ、枯れた小枝が落ちてきてもオカダトカゲは寄ってくる。落ち葉が乾いているのでトカゲが歩くとかなりよく音がする。ガサゴソ。何か音(人間にも聞こえる)がガサリとでもすると、トカゲは一瞬動きを止めた。特に、餌を探索中、舌を出し入れして落ち葉の下を探っている時など、まるでハッとしたように頭を持ち上げ、ほんの一秒ほどそのままの姿勢でいて、それからまた落ち葉の下を探し始めた。

 12:02、ツルナの葉に付いていたイモムシ(長さ約4cm、太さ1cm、恐らくスズメガ類の幼虫)のしりに咬み付いてイモムシを引きずり下ろそうともがいているトカゲがいた。草がかなり揺れて、ガサガサと音がしていた。その下で別の雄トカゲがうろついて、時々上を見上げていた。トカゲがイモムシを引っ張り下ろすと雄トカゲがすぐに気付いて激しく追いかけた。ところが、その騒ぎでイモムシはどこかへいってしまったらしく、二匹ともしばらくはその付近をうろついていた』。
写真2 神津島のクロオオアリ

アリを見分けるトカゲ

「長谷川先生に、卒論のことで相談なんですけど。」
「先生ってだれのこと、アホウドリの博さんのことかい。」
「いや、そうじゃなくて。私、今東邦大学の3年で、来年爬虫類で卒業論文書きたいんですけど。」

 受話器から聞こえてきたのは、遠慮がちな女子大生の声だった。

「爬虫類で卒論をやりたいって相談したら、大学で長谷川さんを紹介されたんです」
 そういうことか。いつかは来るかもしれないと思って覚悟していたが、ついにきたか。それも女子。なれないと面倒くさいけれど、最近は女子の方が優秀だっていうからな。
「はい、わかりました。じゃ、博物館に1月17日の午後ね。受け付けで長谷川に面会だ、って言ってください。」

1月17日がきた。

研究指導という点を除けば、女性と話す方が男性と話すよりも心がはずむ。それに加えて、頭の回転が早い学生ならば、拒絶する理由があるはずもない。初めての卒論指導という意気込みもある。

「長谷川さん、ちょっと伺いたいんですけど、今されている御研究ってどんなことですか」
えー、いきなりこっちが質問されるのかよ。ちょっとずるいなー。何話せばいいんだ、いったい。

「そうですね、学生のころはオカダトカゲの生活史を色々な島で比較研究していましたが、それもだいたいまとめ終わったので、今は神津島に通って、オカダトカゲを食べるシマヘビのこと、オカダトカゲが食べる色々な昆虫のこと調べています。そう、一言で言えば食物連鎖です。教科書的な仕事で面白みがないかと思うかもしれないけど、今まで知らなかった色々な動物を観察し、いろいろ絡み合った関係を暴いていくことで、結構面白いですよ」。

おい、そんな高尚なことやってるわけじゃないだろ。

「そうですか、じゃ長谷川さんのところで卒論やらせてもらえるとしたら、どんなことですか」
ちょっとまった。まだ、受け入れるって決めたわけじゃないぞ。

「んー、トカゲの餌の好み、なんてどうですか。ぼくがね、野外でトカゲの食性を調べていて、トカゲのいる所にどんな餌生物がいるのか、その餌生物がまたどんな植物をたべているか、そういうことをもうだいぶ調べているから、実際にトカゲの餌の好みを飼育状態で詳しく観察すれば、両方の結果がうまくかみ合うでしょ」
本当は、もっと色々な事に手を出しているし、オカダトカゲの博士論文だってまだ提出してないんだけどな。

「はい、じゃそれでお願いします」
えー、いいのかよ。こんなんで決めちゃって。

こうして、彼女は、「オカダトカゲの餌の好み」を卒論のテーマとすることになった。

 オカダトカゲは、広い範囲を歩きまわって餌を探すタイプの昆虫食のトカゲだ。神津島では、女王アリしか食べず、三宅島では、女王アリも働きアリも食べる。オカダトカゲはアリの社会階級(カースト)を見分けているようだった。普通はアリを食べないのに、条件によっては食べることがある。とすれば、オカダトカゲを実験材料にして、トカゲがアリをどうやって区別しているのかが、わかるかもしれない。そう考えた。

 飼育実験の仕方はとても簡単だ。4月の下旬に神津島で採集してきた12匹のオカダトカゲの雄を1個体ずつ長さ34cm、幅20cm、深さ21.5cmのプラスチック水槽にいれて、飼育し、この容器の中に色々な昆虫、無脊椎動物、餌になりそうな小動物を入れ、トカゲと餌動物の反応を観察し記録する、というだけのこと。トカゲを実際に入れる前に、水槽の中には湿らせた山砂を深さ8cmほど入れ、隠れ家用に石、それと水飲み用に小さなカップを入れた。この容器を12個、午前中日の当たる屋外に置いた。観察は容器ごと室内に持ち込み、60wのライトを当て、砂の中から出てきたトカゲが十分暖まって動き出してから、餌をトカゲの眼前にそっと置くのである。与える餌は一個体ずつ体重と体長、体の幅を計っておく。

 試した餌の種類は30種、40タイプに上った。何を実験に使うのか、後で考えるとずいぶん行き当たりばったりだった。卒論が始まって約2ヵ月経った5月の下旬。彼女はビニール袋にたくさんの女王アリをつかまえてきた。大学の構内を歩いていたら、シイの木の根元から結婚飛行に飛び立とうとしているクロオオアリの巣を見つけたのだという。結婚前、飛び立つ前のアリはとても神経質で巣の入り口で外をうかがっている。人が驚かせるととたんに巣の奥に引っ込んでしまう。それを辛抱強く待って10何匹も捕まえたのだ。

「そんなに捕るんじゃない」、と長谷川博先生に言われたとか。

翌日、袋一杯のクロオオアリの女王アリを前に作戦を練った。たくさんいるかに見えた女王も、数えるとちょうど12匹。トカゲ一匹にアリ一匹しかないから、実験をする余裕がない。そこで、一匹ずつ与えることにした。12匹中8匹が食べられた。捕食率67%だ。交互に働きアリを与える。トカゲはアリに頭を向けるが、それだけで、まったく食べる気配がない。結局一匹も食べなかった。

クロオオアリの女王アリは体長が16.5mm、体重は約140mg、それに対し、働きアリは11.3mmで34mgしかない。働きアリは小さいというだけで、働きアリだとわかったのだろうか。それとも、女王アリの背中の羽を見て女王と判断したのだろうか。その後、結婚飛行に出会うこともなく、羽を取った女王アリを与えてみるという実験はできなくなった。季節がもう少し進んだ、蒸し暑い夏の夜。街灯の灯りに集まったトビイロケアリの女王アリを大量に集め、羽をそのままにしたグループと羽を取ったグループを作って、トカゲに与えてみた。どちらの女王アリも12匹中11匹が食べられた。羽のあるなしは、まったく関係なかったのだ。

 トビイロケアリの女王アリは体長10mm、体重は28mgだから、クロオオアリの働きアリよりも小さく軽い。つまり、小さくても女王アリなら食べられて、大きくても働きアリなら無視されたのだ。トカゲは、女王アリを食べるとき、ほとんど舌を出し入れすることもなく、ただちに襲ってくわえこんだ。そして、働きアリを拒絶するときも、一瞥しただけ。舌を出し入れしたり、餌の体をなめたりもせず、そのまま無視した。アリの種類に関係なく、女王アリならば食べ、働きアリならば食べない。水槽のかたわらで見ていた彼女は、こう言った。
「なんか、見ただけでわかっちゃってるみたいですね、女王アリと働きアリのこと」

 オカダトカゲを手にもって、正面からトカゲの顔をじっと見る。こちらの頭を右、左とゆっくり振ってみる。手の中のトカゲは、私の動きにあわせて、顔を左右させる。カメレオンほどではないが、眼球を動かしている。顔面に筋肉が発達し、さまざまな表情をする哺乳類と違って、爬虫類の顔には表情を作り出す筋肉がない。かろうじて、眼球の動き、まぶたや瞬膜の動き、それに首のひねりなど頭部全体の動きがトカゲ特有の表情をつくりだす。

 じっと日光浴をしているトカゲにななめ後ろから近づいてみる。気が付いたトカゲは頭を起こし、後ろを振り向く。そして、上目づかいをする。瞳孔の位置が上に来るから、上目づかいをしているのがわかる。カエルの場合は、こんな風には反応してくれない。眼を動かせないからだ。

 もう一度ゆっくり、手にしたトカゲの顔を見る。黒いつぶらな瞳。大きく耳までさけた口。小さな鼻の穴。正面から見えない耳。『フーム、おまえどうやって女王アリと働きアリを見分けているんだ』。心の中で問いかけてみる。答えが返ってくるはずもないが。

 トカゲの感覚器官には、視覚、聴覚、臭覚、味覚がある。頭部には、この4つの感覚をつかさどる目、耳、鼻、舌が集中している。トカゲの目は草食性の哺乳類のように、頭の両側にあるように思われるが、正面からみれば、種類によってはかなり顔の正面に片寄って位置していることがわかる。目が顔の正面に位置するほど、両眼立体視が可能な視野の広さが確保できる。

 ためしに両眼の間隔の長さを測ってみよう。そして、頭の幅で割った数字が小さければ眼が顔の正面によっていること、大きければ顔の両側に離れていることを表わすものと考える。カロリン諸島のポナペ島で捕獲測定した地上性のかなり大きな(頭胴長が15cmくらいになる)トカゲの測定例をあげてみる。頭の最大幅18.7mmの個体の場合、両眼の間隔は8.3mmだった。比率は0.444となる。人間の例を自分の場合で測定してみる。頭の幅が17cmに対して両眼の間隔は4cm、比率は0.235となった。トカゲは人間にくらべると倍以上も眼と眼の間隔が離れている。眼が離れて頭の両側に位置するほど、全体的な視野は広くなり、死角を小さくすることができる。両眼立体視のメリットを犠牲にしても、広い視野を確保する。これは捕食者への監視を怠れないという、被食者の宿命なのだ。

 女王アリと働きアリを見ただけでわかると言っても、生まれたばかりのトカゲが始めからわかっている、とは思えない。そこで、卵から孵化した子トカゲにトビイロケアリの働きアリを与えてみた。もちろん、これがトカゲにとってアリ食初体験だ。結果、10匹の働きアリは全く食べられなかった。けれども、トカゲが舌を出し入れして餌の臭いを調べる行動はずっと多く、10回中6回だった。大人のトカゲの場合、23例中1例しかなく、この違いは統計的にはっきりと違っていた。経験の無い子トカゲは見ただけでなく、嗅覚も動員して餌が食べられるかどうか、確認したのだ。
「ま、やっぱり臭いも重要ってことか」
「それじゃ、ちょっと嗅覚関係をおさらいしてみよう」
「今、ちょうどトカゲが口を開けたところなので、中を見てみよう。ぼてっとした感じの厚みのある舌があり、先端がほんの少しばかり二股に裂けているね。舌の表面には細かなしわがたくさんあるだろ。ヘビのように、全体的に細長く、先端が深く二又に切れ込んでいる舌とは大違いだね」

 ヘビの深く二股に切れ込み、閉じた口からもちょろちょろと出す舌には、味蕾(みらい)がまったくない。つまり、舌そのものでは、味を感じ取れないのだ。そのかわり、ヘビは、舌の先端部に吸着された化学物質の微小な粒子を柔軟な舌で、口腔蓋にある鋤鼻器(ヤコプソン器官)へ運び、そこでさまざまな化学物質の種類や濃度などの検出を行う。このヤコプソン器官の機能は、ヘビだけでなくトカゲ類にも発達しているとされ、トカゲもヘビと同様に、舌の味覚にたよらず、空気中を漂う化学物質を探るものだと、言われてきた。ヤコプソン器官による化学物質の検出は、臭覚の一部ではあるが、厳密にいうと少し違う。純粋な嗅覚は、空気中を漂う分子量の小さな臭い物質に対して敏感に反応し、臭いの早期、遠距離からの探知という役割を担っている。それに対し、ヤコプソン器官は比較的分子量の大きな臭い物質を舌との連携作業によって検出する。臭いを出す物体そのものから臭い物質を舌にからめとり、口腔蓋のヤコプソン器官に運ぶのだ。この知覚作用は接触嗅覚と呼べばよいだろうか。化学物質を認識する知覚の3番目が、味覚である。

 広島大学の野々山さんは、このような舌の構造を爬虫類について研究したパイオニアの一人だ。日本産爬虫類6種(ニホントカゲ、カナヘビ、ニホンヤモリ、キノボリトカゲ、アオダイショウ、ヤマカガシ)について舌を組織学的に調べ、それぞれの種における味蕾の構造と密度を明らかにした。味蕾は幅が30?40ミクロンの洋ナシの形をした組織で、細長い感覚細胞と丸みを帯びた支持細胞の2層構造をしている。野々山さんの調べた6種のうち、ヘビ類の舌には味蕾が全くなく、トカゲも種類によって味蕾の数がまったく異なっていた。一番たくさんの味蕾をもっていたのがニホントカゲで、舌の表と裏側に万遍なく約200個あったという。次がカナヘビで、舌の左右の両端に片寄って約100個の味蕾があった。ところが、キノボリトカゲには、ごく少数が舌の裏面にしか見つからない。1985年、さらにもっと多くトカゲ類を調べたシュベンクさんによれば、16科29種のトカゲのうち、15科28種が舌と口の中の両方あるいは、どちらかに味蕾を持っていたという。ただ1種、系統的にヘビ類に近いと言われているオオトカゲ属のマングローブオオトカゲだけがいっさい味蕾をもっていなかった。

 ヘビ類やオオトカゲ類は接触嗅覚に優れているけれど、舌には味を感じる味らいがまったくない。つまり、味覚を欠いている。くわえてみてからまずいと判断するのではなく、その前に食べられるかどうかを判断するのだ。トカゲの多くもヤコプソン器官に頼っていて、味覚が貧弱だと考えられていたというが、シュベンクさんによれば、そんなことはない。他の脊椎動物を見渡してみると、cyclostomes、サメ、肺魚、軟骨魚類、硬骨魚類、カエル、サンショウウオ、アシナシイモリ、ワニ、鳥類、カメ、ムカシトカゲ、哺乳類、ほとんど全てが味蕾をもっている。舌に味蕾をもたないヘビやオオトカゲは、接触嗅覚という点でかなり特殊化した存在なのである。

 さて、いろいろと試した餌の中でも面白かったのが、ハグロハバチというハチの幼虫だった。この幼虫は、ギシギシやスイバなどのイタドリ科植物の葉の裏表に丸い小さな穴をあけながら食べ進む葉っぱ食いの昆虫だ。体をさわると丸くなり、ぽろりと落下する。もっとさわっていると、体の脇から半透明の緑色の体液をだす。体の色は緑色に黒い斑点が体側に並んでいる。イモムシ状の幼虫だ。

 トカゲたちは、どうやらイモムシ状の幼虫がゆっくりと横に動いているのをみると、食いつくという衝動を抑えられなくなるらしい。ハグロハバチの幼虫を目の前にだされたトカゲは、12匹中8匹がそのままがぶりとかみつき、次の瞬間にはペッと吐き出した。かみついてから餌を話すまでは、数秒から30秒。残りの4匹は舌をペロペロさせただけで、かみつくのをやめた。全然食べなかった、という点では同じであるが、見ただけで無視した働きアリとは大違いである。ヒガシオビヤスデという多足類、ヤスデの一種を与えた時も、ぱっと口にくわえたかと思うと、すぐさま放し、口をぬぐった。このヤスデも幼虫体型をして、ゆっくりと動く動物である。

 一度口にしてそれから吐き出す。というのは、まさしく味覚による餌の識別だ。5月下旬の実験から約2ヵ月後、12匹のハグロハバチの幼虫を再び同じトカゲに一匹ずつ与えた。その結果、見ただけで無視する割合が増えた。全然食べないという結果は同じだが、かみついた個体はたった2個体にすぎなかったのだ。さらに、3回目。こんどは一匹のトカゲも幼虫にかみつこうとさえしなくなった。たった3回で、幼虫の見かけ(体型や模様)を覚えてしまい、かみつくこともしなくなった。

 そこで、少し遊んでみた。好物の餌、ミルワームの体を緑色に塗り、黒斑点を体の脇に塗った。それをトカゲにやってみた。12匹中10匹があっという間に食べられた。対照実験の何も塗らないミルワームの捕食率は100%だったから、少し割合が低いけれど、これでは体の色をまずいハバチに似せたつもりだったのが、完全にトカゲに見破られた。結構識別目がするどいようだ。

 40タイプの餌の中から好んで食べられた5種類を選んで、餌にかみつく前にトカゲが舌を出し入れして化学物質を検出しようとする行動をみせたかどうか、調べてみた。トカゲにとって『おいしい』餌の場合、トカゲは餌を目で見つけてすぐにかみついた。舌を出し入れするのは、12例中1から2例にすぎない。ところが、嫌いな餌の場合は、どの段階で餌を拒絶するのかが、まちまちだった。見ただけで餌を拒絶したものの筆頭は働きアリ、臭いをかいでやめたものの代表がナナホシテントウだった。そして、噛んでから拒絶したのは、ハグロハバチの幼虫だ。

 見てやめる。なめて臭いをかいでやめる。そして、かみついてからやめる。見てやめるのは、時間の節約になる。噛みついてからやめるとのだと、結局は食べないのだからそれまでの時間が無駄になる。できるなら、どうせ食べない種類、見てやめる判断を下した方がよい。それにもかかわらず、色々な段階で食べないと判断しているのは、彼女が試した餌に対する12匹のトカゲたちの経験の違いを物語っているような感じがしてきた。まずい餌を与え続けると、見ただけで拒絶するように、オカダトカゲの餌認知システムは設計されているらしい。視覚による瞬時の判断に向け、餌の性質と見かけを連動させて常に学習し、それによってこの餌認知システムが機能しているのだと、考えてみた。

 「神津島で、トカゲがたくさんいる場所ではハグロハバチの幼虫を見たことはなかったからね。ちょっとまたいたずらしてみよう。オオヨツボシゴミムシね。あれ最初の実験で全然食べられなかったでしょ。同じゴミムシの仲間のゴモクムシはずいぶん食べられていたのにね。どうしてだろうか。」「先生、ここに書いてある記事が参考になりませんか。インセクタリウム14巻。138?144ページにゴミムシ類の忌避物質という研究が紹介されていますけど」
「どれ、オオヨツボシはメタクレゾールを忌避物質として体外に放出するとあるな、ゴモクムシ類は蟻酸を出すとあるぞ。女王アリも蟻酸を出すけど結局食べられてしまったね。メタクレゾールはオカダトカゲに対する防御効果があるが、蟻酸には無い、ということか。真っ黒な地色に4つの黄色い斑紋はとても目立つよね。それに、たいていのゴミムシは夜になって出てくるのに、こいつだけ昼間もひょこひょこ歩いていたよな」
「そうでしたね」
「じゃ、この模様は警告色ということだ」

 このオオヨツボシゴミムシは伊豆諸島の島々ではごく普通にいるゴミムシだ。しかし、本州ではなかなかみつからない。私は本州では見たことが無い。伊豆諸島でこのゴミムシが多いのは、トカゲに嫌われ、おそらく鳥にも嫌われ、餌にもされない。そんな生態学的事情があるような気がしている。メタクレゾールという化学物質に対するトカゲの拒否反応、そして餌として不適切な存在との警告を視覚的に認識していること、それがオオヨツボシゴミムシ繁栄の理由かもしれない。

 オカダトカゲが島で繁栄しているのは、島にはオカダトカゲを襲う肉食の哺乳類がもともといないこと、シマヘビはいても、哺乳類に比べれば捕食圧は低いこと、そういうことが主な原因である。そのオカダトカゲは密度が高く、それゆえ、今度はトカゲが食べる昆虫や他の無脊椎動物に対して大きな捕食圧を与えることになる。そういうなかで、トカゲの捕食を免れているゴミムシたちがいる。アリやゴモクムシの出す蟻酸ならば平気で対処し、メタクレゾールやフェノールを出すアオゴミムシ類やヨツボシゴミムシを忌避する。ヤスデが防御物質として分泌する青酸化合物も、オカダトカゲに対しては有効な忌避物質である。ところが、南北新大陸で繁栄するハシリトカゲの仲間は、青酸化合物を分泌するヤスデ類や青酸化合物を含む果実を食べても平気である。すき嫌い、という擬人化表現には気を付けねばならないが、捕食者の餌の好き嫌いは、餌生物に深刻な影響を与える。しかし、捕食者が何を餌とし、餌としないのか。それは、人間の分類学的区分を適用するだけでは見えてこない。40種類もの餌をただひたすらに与え、好き嫌いを調べた彼女の卒業研究は、生物群集の構造を理解する上での貴重なヒントとなった。
写真3 神津島のオオヨツボシゴミムシ

内なる群集

「先生、卒論で観察や実験ばかりでなく、本も読みたいんですけど、何か推薦してくれませんか」

「そうだな、いろいろあるけど、でも目から鱗が落ちるような本はなかなか無いな。けど、やっぱりドーキンズかな」

 1950年代生まれの行動・生態学者たちにとって、リチャード・ドーキンズの「利己的遺伝子」ほど僕らの多感な大学院生時代に影響を与えた著作はないだろう。生物の体は遺伝子の乗り物にすぎず、遺伝子の成功は乗り物としての生物の体の性能に左右される。何事にも影響されやすい私はあっさりとその考えを受け入れた。

 言ってしまえば好みの違いなのだが、世の中がどう変わろうと俺は一人でも真理を追究するぞ、という姿勢が好きだった。言われてみればなるほどと納得させられる理屈をだれよりも先駆けて組み立てられる人、その理屈が日常生活ではどうでもよいものであっても、それができる人にあこがれる。卑近なことがらにはどうでも良いのだが作品として読む人を唸らせ、感動させる技量をもつこと。広く深い教養と知識、入念な思考、これらを供え持つことが、社会状況とはかかわりなくそびえ立つ学者の資質であってほしいのだ。

 ドーキンズ教授の著作は1976年の『Selfish gene(邦訳は最初生物生存機械論、その後利己的遺伝子に変更)』から、1982年の『Extended Phenotype(延長された表現型)』、1986年の『Blind Watch Maker(盲目の時計職人)』と続いて翻訳された。「延長された表現型」は前作に較べ、影響力はそれほど大きくない、という世間の風評ではある。だが、遺伝子の成功を左右する乗り物が遺伝子を包み込む生身の体だけでなく、巣やさまざまな構築物、そして実は当の生物がいろいろとかかわり合う他の生物の体にまで延長されるという論は、少なくとも私にとって、前作以上に衝撃的であった。

 「延長された表現型」の翻訳が出版されたのが1989年のことだ。その頃、私の関心はオカダトカゲからオカダトカゲに関わる他の生物へ延長されつつあった。時宜を得ていたとも言える。

 島のいろいろな生物と付き合ううちに、シマヘビのように、食物連鎖の上位に位置する生物の性質は、島ごとに異なる潜在的な競争者や餌生物のありようによって影響を受け、それが生活史の変異として目に見えるかたちで現われた例、オカダトカゲの場合は捕食者が餌生物の生活史に重大な影響を与える例である、と整理してみた。伊豆諸島に生息する他の生物にも島毎にさまざまな程度で生活史の違いがみられること、そしてその違いを産み出している要因も他の生物との関係の在り方の島ごとの違いに帰着する、という認識を深めていく内に、ある関心事が次第に形を整えていった。

 生活史や形態的特徴に目をむけながら1つの群島に長く通うことには、意外な種間関係を発見できるという面白味がある。例えば、私は、陸貝の一種であるシモダマイマイの殻の模様が、その島にすむシマヘビの模様に似ていることに気付き、これをマイマイがシマヘビの模様に擬態することで鳥類の捕食を回避していると考えたことがある。マイマイとシマヘビの模様の類似に気が付いたのは、1984年のころだった。神津島でシマヘビを捕獲し生態調査をしていた時に、ネザサの茎やコンクリートの壁に沢山はりついていたシモダマイマイ(カタツムリの1種)にふと目をやったところ、それがどうみてもシマヘビの体の一部に見えたのだ。この島のシマヘビは、本土でよく見かけるように、麦ワラ色の地色に縦に四本の茶褐色の島模様がついている。縞蛇という漢字がよく当てはまるヘビである。そして、この島のシモダマイマイも貝殻の地色が同じく麦ワラ色で、茶褐色の帯がある。マイマイの茶褐色の帯の幅と麦ワラ色の地色の組み合わせが、シマヘビの体の一部に見えたのである。

 これだけの観察だったならば、単なる類似にすぎない。ただそれだけの事として、記憶の隅にしまわれていたに違いない。けれども、その4年後に訪れた新島で、同じ様にシマヘビの調査を行ない、沢山いるシモダマイマイを見たときに、なんと驚くべきことに、神津島とは全く違った色彩であるシマヘビの模様とシモダマイマイの模様がここでも一致していたことに気が付いたのだ。

 新島のシマヘビには、全身が茶褐色で4本の縦縞がほとんど無くなっている個体が多い。そして、神津のシマヘビよりも怒りっぽい。というか、捕まえた時に攻撃してくる傾向が強い。シマヘビが怒る時には、普段よりも深く息を吸って吐く。そのため、息を吸うと体がふくらんで、鱗と鱗のすき間の白い地肌がよく目立つことになる。新島にも神津島と同じ位たくさんいるシモダマイマイには、神津島のようなバンド模様の個体はほとんどいない。そのかわり、シマヘビと同じように全体が茶褐色の個体が多い。これを褐色型と呼ぶことにしている。なにより私にとって、驚きだったのは、この茶褐色の貝殻には、火炎彩という模様がついているのであるが、この火炎彩が怒って体をふくらませているシマヘビの胴体の模様にとてもよく似ていたのである。さらに新島には、全身茶褐色のヘビの他に、縞模様がほとんど消え全身が薄いムギワラ色のシマヘビもいる。この色彩タイプは全体に白っぽく見える。これを白色型と呼ぶことにしている。そしてシモダマイマイにも、殻の地色がクリーム色でバンド模様がまったくない色彩タイプがいたのだった。シマヘビとシモダマイマイの両方に褐色型と白色型が存在し、2色彩型の比率はシマヘビとシモダマイマイの間でほぼ一致していた。こうなるともう、これは大当りマイマイ(SNAIL)がヘビ(SNAKE)に擬態しているのだ。だ洒落にもなっていて、これは傑作だとばかり、一人悦に入ってしまったのだった。

 擬態というのは、餌生物がその捕食者の餌にはならない生物(モデル)に体の全体あるいは一部を似せ、捕食者の認知機構を巧みにだますことによって成立している一種の捕食回避システムである。人の目からみてとてもちゃちな擬態であっても、捕食者がだまされるのであれば、それは擬態として立派に通用すると判断してよい。では、捕食者が本当にだまされているのかどうか、どのように証明すればよいのだろうか。証明が困難であるならば、なんとか理屈を立てたいものである。そこで、まずシモダマイマイの殻の模様がシマヘビの模様に似ているのは、シマヘビに似ているマイマイがシマヘビをいやがるような捕食者、恐らく鳥類の捕食からまぬがれてきたからである、と考えてみた。マイマイがシマヘビにそっくりでなくて、模様が似ているだけでも効果があると考えたのにはちょっとした理由がある。

 普通の擬態、例えばベーツ型擬態では毒のないアゲハAが毒のあるアゲハBに擬態している、というように特定の種類にそっくりな厳密な擬態をさすことの方が一般的である。ところが、その一方でチョウやガの幼虫やサナギの一部が何となくヘビや毒ヘビの一部に似ているといった抽象的な擬態の存在も知られている。前者の擬態には確固たる証拠も多く、その存在理由を疑う科学者は現在ではほとんどいないといってよい。しかし、後者に対しては単なるお話にすぎないとしてその存在が疑われることが多い。むしろ、信じている方が少ないだろう。私は、マイマイのヘビ擬態も後者の範疇に入ると思っている。このようにあいまいで抽象的な類似が本当に擬態として機能しているかどうか判断するためには、だまされる側、つまりチョウやガの幼虫、それにマイマイを捕食はするけれども、逆にヘビ類には捕食されているような動物、特に鳥類の認知機構をよく理解しなければならない。

 食べてよい餌といけない餌を見分ける目の厳しさや厳密さは、モデルに対する擬態の精巧さを磨きあげることになる。それに対して、捕食者を見分ける時に手がかりとする特徴はもう少しあいまいであるとは考えられないだろうか。命にかかわることには慎重であれである。捕食者らしい形、模様、色彩と出会ったときには、たとえそれが本物ではなくとも避けるというのが、賢明な策であると考えてみてはどうだろうか。捕食者の捕食者に擬態するというのは、捕食者の抽象的なイメージを擬態することでそれなりの効果をあげるものなのではないだろうか。この話を科学的に証明するための証拠を探し集める努力は今も休みなく続けている。しかしながら、シマヘビとマイマイというごくありふれた島の生物のちょっとした色や形の変異に、生物の世界を読み解くメッセージを嗅ぎ付けることは、とても楽しい知的遊戯の1つといってよい。食うものと食われるもの、あるいは花と花粉媒介者というような古典的な2者の関係を超え、より高次な種間関係に注目してみると、餌生物が捕食者の捕食者に擬態するというような一見ありそうもない関係性のネットワークが垣間見えてくる。そんな面白味がある。

 擬態は餌生物が捕食者の認知機構を巧みにだますことによって成立しているといってよいだろう。そう考えると、ある地域群集を構成種の種組成や生態的地位、食物連鎖の中での位置などからとらえようとする従来からのアプローチに対して、構成種の主体的認知世界から群集の広がりやまとまりをとらえようとするアプローチを、積極的に加えてみたいと思うようになった。この2つのアプローチを自在に操ることによって見えてくるであろう生物の世界を構想することが、おそらく小宇宙としての島を研究する最大の魅力、そう考え始めたのだ。

 構成種の主体的認知世界から群集の広がりやまとまりをとらえようとするこのアプローチ。それは生態系を構成する種の1つ1つが外的世界の内部モデルを持っていることを認めることに他ならない。我々人間が1人1人世界観や自然観を持っているように、シモダマイマイはシモダマイマイなりに、シマヘビはシマヘビなりに世界観と言って良いものをもっていると考える。これは、まさにユクスキュルの環境世界だ。そして、この世界観を内なる群集と呼んでみてもよいだろう。シモダマイマイの殻をシマヘビの体の一部と誤解してしまうような鳥たちによって、本来はまったく関係ない生活を送っていたはずのシモダマイマイとシマヘビが鳥たちによって関連づけられる。鳥の環境世界、内なる群集ではマイマイとシマヘビは同じ存在となる、そう考えてみるのである。

 生物の行動原理は案外と単純かもしれない。これは餌か、仲間か、それとも命の危機をもたらす捕食者なのか。そういう判断を鳥やオカダトカゲはどのようにして行っているのだろうか。もし内部モデルを持って、それに照らして判断を下しているとすれば、その内部モデルこそ内なる群集と言えるのではないだろうか。シマヘビと見間違えらなかったシモダマイマイが見間違えられるような殻の模様をしたシモダマイマイに進化していったとすると、それは架空の幻想(内部モデル)に対しての進化であり、しかしよく考えてみれば、そういう認識構造へのすり寄りこそが生物の本性とも言える。もし、ドーキンズが島の生物を直接研究するようなことがあったならば、こう考えたかもしれない。長年島に通ううちに、私はそんな想像を巡らせるようになっていた。
トカゲの正面顔。ミクロネシアのポナペ島で捕獲した大型のスキンク(鱗がすべすべとつやのあるタイプを、英語でskinkと呼ぶ)
伊豆諸島のシモダマイマイ(左は新島、右は神津島)
伊豆諸島のシマヘビ(左は新島、右が神津島)。新島には1つの島にストライプ模様がはっきりしている型とそうでない型の色彩多型現象がある)
地理生態学研究室:長谷川雅美

このエッセイに関する関連文献

  1. Hayashi, F., and M. Hasegawa. 1984. Selective paratisism of the tick, Ixodes asanumai (Acarina:Ixodidae) and its influence on the host lizard Eumeces okadae in Miyake-jima, Izu Islands. Applied Entomology and Zoology 19(2):181-191.
  2. Hayashi, F., and M. Hasegawa, and K. Miyashita. 1984. Timing of dropping from the host lizard in the tick, Ixodes asanumai (Acarina:Ixodidae). Applied Entomology and Zoology 19(4):418-421.
  3. Hasegawa, M. and Y. Taniguchi. 1993. Visual prey discrimination of queen and worker ants by a generalist lizard. Journal of Ethology 11:55-62.
  4. Hasegawa, M. and Y. Taniguchi. 1994. Visual avoidance of a conspicuously colored Carabid beetle Dischissus mirandus by the lizard Eumeces okadae. Journal of Ethology 12:9-14
  5. Hasegawa, M. and Y. Taniguchi. 1996. Behavioral discrimination of prey with various defense mechanisms by the lizard Eumeces okadae. Journal of Ethology 14:89-97.
  6. Kuriyama T, M. C. Brandley, A. Katayama, A. Mori, M. Honda and M. Hasegawa 2011. A time-calibrated phylogenetic approach to assessing the phylogeography, colonization history and phenotypic evolution of snakes in the Japanese Izu Islands. Journal of Biogeography 38:259-271.
  7. Kuriyama, T., Misawa, H., Miyaji, K., Sugimoto, M. & Hasegawa, M. (2013). Pigment cell mechanisms underlying dorsal color-pattern polymorphism in the japanese four-lined snake. J. Morphol. 274, 1353-1364
  8. 上田恵介 1995 花・鳥・虫のしがらみ進化論、「共進化」を考える 築地書館 130-131ページに、カタツムリはヘビ模様、として紹介記事が掲載されている。 

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