終戦の日

本日は72回目の終戦の日ですね。

(8月15日以降も戦闘状態にあった地域がまだあったことも事実であり、抑留や引き揚げ者のことを考えると決して区切りの日であったとはいえないかもしれませんが。)
しかしながら毎年この日を迎えるたびに、平和にかつ平穏に過ごせることに改めて感謝させられるものです。
さて今回は本学の前身である帝国女子医学薬学専門学校在籍中に終戦を迎えた方の回想録を紹介いたします。

“八月十五日 終戦の日は忘れる事が出来ません。
重大放送がある。「もっと頑張れか」「陛下が亡くなられたか」私達はそれぞれに思惑を抱きながら裏の家のラジオの前へ集まりました。
初めて聞く天皇陛下の声、何だかはっきり聞きとれないまま、「戦争に負けたのだ」と言う事だけはわかったのです。
呆然となり、どうして部屋へ帰ったのか、皆無口でした。
戦争に負けた。
新型爆弾が落ちたから。沢山の兵隊さんが死んだのに。一致団結したのに・・・・。
皆お部屋の壁にもたれてワィワィ泣きました。
何の為に頑張ったの?
何の為の戦争だったの?
頭はお釜を被せられたように重く、ズキズキと痛み、力が抜けて何をする気にもなりませんでした。
戦争は終わった。
空襲はもうない。
だけどこれからどうなるの。
無念さと、不安と安堵が一緒になって、それからの四、五日間をどの様に過ごしたか覚えてません。
そして八月二十三日、私達は繰り上げ卒業と言う事で、卒業式もしないまま臼田(*)を後にしたのです。
(*現在の長野県佐久市。空襲で校舎の大半を焼失した帝国女子医専は長野への疎開組と東京残留組に別れ、それぞれの動員先で終戦を迎えることとなった。)
あの風そよぐ長閑な臼田のプラットホームで、手を振りながら東へと西へと、それぞれの人生を歩み始めたのです。
思えばあれから四十年。感無量なるものがあります。”

(江塚笙子ほか編『ここに道あり:帝国女子医専卒業四十周年記念』1985年、東京出版センターpp.78-79より)

この回想録を書かれた方たちの学年は、昭和16年の太平洋戦争開戦の年に入学し、戦時中の動員や空襲による校舎の焼失、疎開などまさに激動の学生時代を過ごすこととなりました。
そして終戦を機に解散し、待機となり、2度と皆で顔を合わす機会は無いまま、繰り上げで卒業することになったのです。
別の方の回想によると昭和20年の9月25日付で卒業となったそうです。
戦局が悪化してからは授業もままならず卒業試験も卒業式もない卒業・・・いったいどれだけ戸惑ったことでしょうか。
“昭和二十年九月二十五日付で、私たちも帝国女子医学薬学専門学校医学科の卒業証書をいただいた。辛うじて———というべきか。
いま開いてみると次のように記してある。

右者本校規程ノ医学科ヲ修メ正ニ其業ヲ卒ヘタリ仍テ之ヲ証ス ”

(前掲書p.134より)

苦難を乗り越えていまだ本学の歴史が続いていることに改めて感謝ですね。

投稿者:スタッフ

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